フェラーリ 500F2
カテゴリーF1
コンストラクターフェラーリ
デザイナーアウレリオ・ランプレディ
先代フェラーリ・375F1
後継フェラーリ・625F1
フェラーリ・553F1
主要諸元
エンジンフェラーリ Tipo500
主要成績
チームスクーデリア・フェラーリ
エキュリー・ロジェ
エキュリー・エスパドン
エキュリー・フランコルシャン
G.カプララ
ドライバーアルベルト・アスカリ
ルイジ・ヴィロレージ
出走
回数優勝
回数ポール
ポジションファステスト
ラップ
141313
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フェラーリ 500F2 (Ferrari 500F2) は、スクーデリア・フェラーリが1952年から1953年にかけてF1世界選手権で使用したフォーミュラ2カーである。車名の「500」はエンジン1気筒あたりのシリンダー容積500ccをあらわす(500cc×4気筒=2,000cc)。
2年間に渡り圧倒的な成績を収め、アルベルト・アスカリが2年連続ドライバーズチャンピオンに輝いた。 1952年のF1世界選手権は参加台数不足の懸念からエンジン排気量2,000ccのF2規定のマシンで争われることになった。フェラーリはすでにV12エンジンの166F2と212F2を保有しており優位な立場にあったが、アウレリオ・ランプレディは新設計の直列4気筒エンジンを開発した。競技車・市販車を含めて、フェラーリがV12以外のエンジンレイアウトを採用した初のケースとなった。 500F2は革新的ではないが手堅く実戦的に設計された。シンプルな構造のエンジンは低重心で中速域のトルクに優れた。車重は軽く、操縦性の優れたバランスの良いマシンとなった[1]。世界選手権以外のレースも含め、1952年から1953年にかけて33戦出走して30勝。のべ109回出走して81回完走、リタイアは18回のみだった[1]。マシンは優れていたが、強力なライバルが不在だったことも関係していた。 1953年の最終戦には排気量を1,997ccに上げた553F2を試験的に投入。1954年から再びF1規定の世界選手権となると、2,500ccにまで拡大した625F1と553F1を使用した。 [2] (key) (太字はポールポジション、斜字はファステストラップ) 年シャシーエンジンタイヤドライバー123456789ポイントランキング
目次
1 概要
2 スペック
3 成績
3.1 ワークス
3.2 ノンワークス
4 出典
概要
スペック 500F2の操縦席
シャーシ
構造 スチール製チューブラーフレーム
全長 mm
全幅 mm
全高 mm
ホイルベース 2,160mm
トレッド 1,270mm(前) 1,250mm(後)
ギアボックス 4速+後進1速
重量 560kg
サスペンション
前 ダブルウィッシュボーン/リーフスプリング
後 ド・ディオンアクスル/リーフスプリング
ブレーキ ドラム式
エンジン
気筒数・角度 直列4気筒
ボア・ストローク 90×78mm
排気量 1,984cc
最高出力 185馬力/7,500回転
動弁 DOHC・1気筒あたり2バルブ
キャブレター ウェバー50 DCOキャブレター(ツイン)
点火装置 ツインスパーク
潤滑システム ドライサンプ
クラッチ マルチプレート
最高速度 260km/h
タイヤ
メーカー ピレリとエングルベールを併用
前輪サイズ 5.50×15
後輪サイズ 7.00×15
成績
ワークス
1952年500Tipo500 2.0L L4PSUI500BELFRAGBRGERNEDITAn/a1n/a1
ジュゼッペ・ファリーナRet/
Ret2226224
ピエロ・タルッフィ1Ret3247
アンドレ・シモン
アルベルト・アスカリ111111
ルイジ・ヴィッロレージ
1953年500Tipo500 2.0L L4PARG500NEDBELFRAGBRGERSUIITAn/a1n/a1
ジュゼッペ・ファリーナRet2Ret53122
アルベルト・アスカリ111418 21Ret
マイク・ホーソーン44615334
ルイジ・ヴィッロレージ2Ret26Ret8 263
ソース:[3]
1 ? コンストラクタータイトルは1958年から設定された。このためコンストラクターとしてのポイントやランキングは存在しない。
2 ? 同じ車両を使用したドライバーに順位とポイントが配分された。
ノンワークスが望まれています。
出典^ a b Doug, Nye「1950-1999 グランプリカー・オブ・ザ・イヤー」『F1倶楽部』第29号、双葉社、2000年3月、 46頁。