フェミナ賞
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フェミナ賞
Prix Femina
フェミナ賞審査委員会 (1926年12月15日)[注釈 1]
受賞対象散文
開催日11月第1水曜
会場クリヨン・ホテル(パリ8区
フランス
初回1904年
最新回2019年
最新受賞者シルヴァン・プリュドム(フランス語版), Par les routes
公式サイトPrix Femina
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フェミナ賞(: Prix Femina)は、ゴンクール賞ルノードー賞メディシス賞アンテラリエ賞と並んで、フランスでの最も権威ある文学賞の一つである[1]1904年に女性詩人アンナ・ド・ノアイユの提唱により、女性向け雑誌『ラ・ヴィー・ウールーズ(フランス語版)(幸せな人生)』(後の『フェミナ』誌)の女性寄稿者22人により創設された。1904年のゴンクール賞(前年1903年創設)で、女性作家ミリアム・アリー(フランス語版)が候補に挙がっていたにもかかわらず、男性作家レオン・フラピエが受賞したために、ミソジニー的なゴンクール賞に対抗して制定された賞である[2][3]。実際、女性初のゴンクール賞受賞者はエルザ・トリオレであり、40年後(1944年)のことである。

毎年、最も優れたフランス語の散文もしくは詩作品に贈られる。11月の第1水曜日に、パリのホテル・ド・クリオンで女性審査員10人(2019年時点)によって選出される。
歴史

この賞は、当初はアシェット・リーブル社の雑誌『ラ・ヴィー・ウールーズ(フランス語版)(幸せな人生)』の名前から「ヴィ・ウールーズ賞」と呼ばれ、1904年12月4日に20名(ゴンクール賞の倍)の女性から成る審査員により初の授与が行われた[4]アンナ・ド・ノアイユ、カロリーヌ・ド・ブルテル(編集長)のほか、ピエール・ド・クールヴァン夫人、ジュリア・ドーデ(フランス語版)(アルフォンス・ドーデの妻)、ジャンヌ・メット(フランス語版)(カチュール・マンデスの妻)、リュシー・フェリックス=フォール・ゴヨー(フランス語版)(ジョルジュ・ゴヨーの妻)、リュシー・ドラリュー=マルドリュス(フランス語版)、ジャンヌ・デュラフォア(フランス語版)、マリー・デュクロー、クロード・フェルヴァル、ジュディット・ゴーティエ(フランス語版)、アルヴェード・バリーヌ(フランス語版)、テレーズ・バンゾン(フランス語版)、ジャンヌ・ロワゾー(フランス語版)、ジャンヌ・マルニ、ジョルジュ・ド・ペールブリューヌ(フランス語版)、マルグリット・パラドウスカ、ガブリエル・レヴァル(フランス語版)、セヴリーヌ、マルセル・ティナイエール(フランス語版)、ジュリエット・アダム(フランス語版)、ジャン・ベルトロワ(フランス語版)であった。『ラ・ヴィー・ウールーズ』第1号(1902年10月15日)表紙

1901年に雑誌『フェミナ』を創刊したピエール・ラフィットとアシェット社が連携する。1922年に「フェミナ賞」に改称し、審査員は12名とした[4]

合衆国広場8番地(16区)のラ・ロシュフコー公爵家の邸宅は、数十年に亘ってそのサロンにエドメ・ド・ラ・ロシュフコー(フランス語版)がパリ中の文学・思想の名士たちを集めたことから「アカデミー・フランセーズの控室」という評判を得る。サロンの女主人は自ら、フェミナ賞の審査員長を長年務めた。在任中の1953年には日本女性を主人公とした日系フランス人キク・ヤマタの『麗しの夫人』を候補に推薦している[5]。娘のソランジュ・ファスケル(フランス語版)も生涯審査員を務めた。

2019年現在の審査員は、カミーユ・ロランス、クレール・ガロワ(フランス語版)、ポーラ・ジャック(フランス語版)、クリスティーヌ・ジョルディス(フランス語版)、モナ・オズーフ、ダニエル・サルナーヴ(フランス語版)、シャンタル・トマ(フランス語版)、アンヌ=マリー・ガラ(フランス語版)、ジョジアーヌ・サヴィニョー(フランス語版)、エヴリーヌ・ブロック=ダノ(フランス語版)の10人である[6]
フェミナ賞受賞作家・作品一覧

年画像受賞作家受賞作品邦訳
1904ミリアム・アリー(フランス語版)La Conquete de Jerusalem
1905ロマン・ロランJean-Christophe『ジャン・クリストフ』豊島与志雄[7]岩波書店、(新版) 2003年。
1906アンドレ・コルティス(フランス語版)Gemmes et Moires
1907コレット・イヴェール(フランス語版)Princesses de science
1908エドゥアール・エストニエ(フランス語版)La Vie secrete
1909エドモン・ジャルー(フランス語版)Le reste est silence『子供は知っていた』江口清(リンク)訳、河出書房、1956年。
1910マルグリット・オードゥーMarie-Claire『孤児マリー堀口大学訳、新潮社、1953年。
1911ルイ・ド・ロベール(フランス語版)Le Roman du malade
1912ジャック・モレル(フランス語版)Feuilles mortes
1913カミーユ・マルボ(フランス語版)La Statue voilee
1914(受賞なし)
1915(受賞なし)
1916(受賞なし)
1917モーリス・ラルーイ(フランス語版)L'Odyssee d'un transport torpille
1918アンリ・バシュラン(フランス語版)Le Serviteur
1919ロラン・ドルジュレス(フランス語版)Les Croix de bois「木の十字架」山内義雄[8]三笠書房『三笠版現代世界文学全集 第5巻』(1954年) 所収。
1920エドゥモン・ゴジョン(フランス語版)Le Jardin des dieux
1921レイモン・エスコリエ(フランス語版)Cantegril
1922ジャック・ド・ラクルテル(フランス語版)Silbermann『反逆児 ― シルベルマン』青柳瑞穂[9]、新潮社、1957年。
1923ジャンヌ・ガルジ(フランス語版)Les Allonges
1924シャルル・ドゥレンヌ(フランス語版)Le Bestiaire sentimental
1925ジョゼフ・デルテイユ(フランス語版)Jeanne d'Arcカール・テオドア・ドライヤー監督映画『裁かるるジャンヌ』(1927年)
1926シャルル・シルヴェストル(フランス語版)Prodige du c?ur
1927マリー・ル・フラン(フランス語版)Grand-Louis l'innocent
1928ドミニク・デュノワ(フランス語版)Georgette Garou
1929ジョルジュ・ベルナノスLa Joie「よろこび」山崎庸一郎訳『ジョルジュ・ベルナノス著作集 第1巻』(春秋社、1976年) 所収。


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