フェドカップ
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ビリー・ジーン・キング・カップ
今シーズン・大会:
ビリー・ジーン・キング・カップ2023

競技テニス
創立1963年
参加チーム8 (ワールドグループ)
95 (総計)
ITF加盟国
フェドカップ

ビリー・ジーン・キング・カップ(Billie Jean King Cup, 略称BJKカップ)は、1963年から開催されている女子テニスの国別対抗戦である。男子のデビスカップに相当する。1963年国際テニス連盟(International Tennis Federation)設立50周年を記念して、第1回大会が行われた。最初の名称は「連盟」の名前を取って「フェデレーション・カップ」(Federation Cup)といったが、1995年から「フェドカップ」に変更された。ITFは2020年9月に伝説的女子テニスプレーヤービリー・ジーン・キングを称えて現名称に変更[1][2] 。ゲインブリッジ・ビリー・ジーン・キング・カップ(Billie Jean King Cup by Gainbridge )として開催されている。
歴史

1976年から1982年まで、アメリカが大会7連覇を達成する。

1981年 フェデレーション・カップが初めて日本に誘致される。この時の会場は「多摩川園ラケットクラブ」だった。

1985年 フェデレーション・カップが2度目の日本誘致。この時は愛知県の「名古屋グリーンクラブ」で行われる。

1989年 フェデレーション・カップが3度目の日本誘致。この時は東京有明コロシアムで行われた。アメリカ・チームが2年連続14度目の優勝を飾ったが、クリス・エバートの現役最後の試合がこのフェデレーション・カップであった。

1991年 この年のフェデレーション・カップで、当時の女子テニス界のトップ選手であった3名が各国の代表選手を辞退する。モニカ・セレシュユーゴスラビア代表、当時最年少世界ランキング1位になったばかり)、ガブリエラ・サバティーニアルゼンチン代表、ソウル五輪銀メダリスト)、マルチナ・ナブラチロワアメリカ代表)の3選手に対して、国際テニス連盟は翌92年バルセロナ五輪の出場を禁止する措置を発表した。ここで重視された論点は「国の代表選手」としての役割である。オリンピック代表選手がこの役割を担う以上、自国の代表としてフェデレーション・カップへの出場を拒否する選手は、五輪代表にはふさわしくないのである。この年のフェデレーション・カップが今後の型となり、テニスにおけるオリンピック代表選手の選考資格に「フェドカップの代表選手であること」が必須事項の1つとなった。

1992年 ドイツ・チームが5年ぶり2度目の優勝。1990年10月3日に実現した東西ドイツ再統一により、この時は「統一ドイツ代表」となっていた。シュテフィ・グラフアンケ・フーバーの2人を軸にして得た優勝だったが、これ以後ドイツはフェドカップの優勝から遠ざかっている。

1993年から1995年まで、スペイン・チームが大会3連覇を達成する。

1995年 この年から、男子国別対抗戦の「デビスカップ」に倣って、各国が前年度の成績に基づいて「グループ」に振り分けられる。日本チームは当時の最高位置である「ワールドグループ」8ヶ国に入った。

1996年 日本が「ワールドグループ」1回戦でドイツを3勝2敗で破り、初の準決勝に進出。準決勝ではアメリカに敗退。

2020年 この年からデ杯同様決勝大会が再度復活の予定だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行の影響で決勝ラウンドは2021年に延期された (予選ラウンドは2020年に行われた)。
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大会の流れ

1994年までは、資格のある32ヶ国が1箇所に集まってトーナメント方式で行っていたが、1995年から男子のデビスカップと同様のグループ方式になる。

大会は年一度開催される。

現在はワールドグループ(16ヶ国チームが所属)を頂点として、その下に3つの地域ゾーンがある。それぞれの地域ゾーン内はさらに6ヶ国?10ヶ国チームずつの構成でクラス分けがされていて、ワールドグループ所属チームを含めて95ヶ国(2007年現在)のチームが参加している。(構成の詳細はデビスカップの解説を参考)

ワールドグループはIとIIに分かれている。大会ではグループIIの1回戦の勝者チームが次シーズンのグループIへの昇格を賭けてグループIの一回戦敗者チームとそれぞれ入れ替え戦に臨む。グループIの1回戦勝者チームはそのまま大会優勝を目指してトーナメントでの対抗戦を行う(2007年現在)。

各対戦は3セットマッチ制(試合の方法の詳細はテニスの記事を参照)の試合をシングルス4試合ダブルス1試合(1日目シングルス2試合、2日目シングルス2試合ダブルス1試合)の合計5試合で行われる。

構成 (2020年大会より)

ワールドグループの対戦方式に大きな変更があり、1か所で1週間かけて「BJKカップ・ファイナルズ」として開催されることとなった。2020年は12か国(前年決勝進出国と開催地、ワイルドカード、予選勝ち上がりの8か国)が3か国ずつ4つのグループに分かれてラウンドロビン方式で対戦し、各グループ1位の4か国が準決勝に進み、以降はトーナメント方式となる。各国間の対戦はシングルス2試合・ダブルス1試合の計3試合となり、各試合は3セット・マッチで行われる。
歴代優勝国

以下はこれまでの決勝戦の記録である。

年優勝国スコア準優勝国決勝会場 (サーフェス)[3]都市
1963 アメリカ合衆国 (1)2?1 オーストラリア (1)クイーンズ・クラブ (G) ロンドン
1964 オーストラリア (1)2?1 アメリカ合衆国 (1)ジャーマンタウン・クリケット・クラブ (G) フィラデルフィア
1965 オーストラリア (2)2?1 アメリカ合衆国 (2)Kooyong Club (G) メルボルン
1966 アメリカ合衆国 (2)3?0 西ドイツ (1)Turin Press Sporting Club (C) トリノ
1967 アメリカ合衆国 (3)2?0 イギリス (1)Blau-Weiss T.C. (C)西ベルリン
1968 オーストラリア (3)3?0 オランダ (1)スタッド・ローラン・ギャロス (C) パリ
1969 アメリカ合衆国 (4)2?1 オーストラリア (2)Athens Tennis Club (C) アテネ
1970 オーストラリア (4)3?0 西ドイツ (2)Freiburg T.C. (C) フライブルク
1971 オーストラリア (5)3?0 イギリス (2)Royal King's Park T.C. (G) パース
1972 南アフリカ共和国 (1)2?1 イギリス (3)Ellis Park (H) ヨハネスブルク
1973 オーストラリア (6)3?0 南アフリカ共和国 (1)Bad Homburg T.C. (C) バート・ホンブルク
1974 オーストラリア (7)2?1 アメリカ合衆国 (3)Naples T.C. (C) ナポリ
1975 チェコスロバキア (1)3?0 オーストラリア (3)Aixoise C.C. (C) エクス=アン=プロヴァンス


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