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フェデリコ・フェリーニ
Federico Fellini
『キネマ旬報』1966年2月決算特別号より。
生年月日 (1920-01-20) 1920年1月20日
没年月日 (1993-10-31) 1993年10月31日(73歳没)
出生地 イタリア リミニ
職業映画監督、脚本家
ジャンル映画
活動期間1950年 - 1993年
配偶者ジュリエッタ・マシーナ(1943年 - 1993年)
主な作品
『青春群像』(1953年)
『道』(1954年)
『カビリアの夜』(1957年)
『甘い生活』(1960年)
『8 1/2』(1963年)
『魂のジュリエッタ』(1964年)
『サテリコン』(1969年)
『フェリーニのアマルコルド』(1973年)
受賞
アカデミー賞
外国語映画賞
1957年『カビリアの夜』
1963年『8 1/2』
1974年『フェリーニのアマルコルド』
名誉賞
1992年 映画監督の中でも偉大な巨匠の一人であることを称えて
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1960年『甘い生活』
40周年記念賞
1987年『インテルビスタ』
ヴェネツィア国際映画祭
銀獅子賞
1953年『青春群像』
1954年『道』
栄誉金獅子賞
1985年
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
1989年
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1974年『フェリーニのアマルコルド』
外国語映画賞
1956年『道』
1961年『甘い生活』
1963年『8 1/2』
1965年『魂のジュリエッタ』
英国アカデミー賞
美術賞
1976年『カサノバ』
フェローシップ賞
1986年
ゴールデングローブ賞
外国語映画賞
1965年『魂のジュリエッタ』
ブルーリボン賞
外国語作品賞
1957年『道』
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
外国語映画賞
1960年『甘い生活』
1963年『8 1/2』
1965年『魂のジュリエッタ』
1973年『フェリーニのアマルコルド』
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フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)は、イタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。「映像の魔術師」の異名を持つ[1][2][3]。
経歴フェリーニとピエル・パオロ・パゾリーニ
1920年1月20日、イタリアのリミニで生まれた[4]。リミニの高校在学中には古都フィレンツェの新聞に漫画のはがき投稿をしていた[5]。高校卒業後、1939年に首都ローマの「イル・ピッコロ」紙に勤務し、やがて「マルク・アウレリオ」紙に移った[6]。マルク・アウレリオ紙はユーモア紙であり、フェリーニはここで漫画やコラムを書き、記者として経験を積んでいった。やがて1942年になると記者の他、ラジオドラマの放送作家としての脚本の仕事が増えていった[7]。1943年には、このラジオドラマへの出演で知り合ったジュリエッタ・マシーナと結婚している[8][3]。
1944年、ローマが連合国軍の制圧下に入ると似顔絵屋を開いて生計を立てていたが、映画監督ロベルト・ロッセリーニがこの店を訪れ、映画シナリオへの協力を頼んだことが、フェリーニの映画人生の始まりとなった[9]。この映画『無防備都市』は1945年に公開され、イタリア・ネオレアリズモ映画を世界に知らしめた記念碑的作品となり、フェリーニはロッセリーニの次回作である『戦火のかなた』でも脚本を担当した[10]。フェリーニは1952年までラジオドラマ時代も含めると10年間、映画単独でも7年間脚本家としての仕事を続けたものの、徐々に脚本よりも映画制作に興味を示し始めた[11]。