フェデリカ・モゲリーニ
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フェデリカ・モゲリーニ
Federica Mogherini


欧州大学学長
現職
就任
2020年9月1日
欧州連合外務・安全保障政策上級代表
任期
2014年11月1日 ? 2019年11月30日
大統領ジャン=クロード・ユンケル
前任者キャサリン・アシュトン
後任者ジョセップ・ボレル
イタリアの外相
任期
2014年2月22日 ? 2014年10月31日
首相マッテオ・レンツィ
前任者エンマ・ボニーノ
後任者パオロ・ジェンティローニ

個人情報
生誕 (1973-06-16) 1973年6月16日(50歳)
イタリアローマ
政党民主党
配偶者マッテオ・レベザーニ
子供2人
出身校ローマ・ラ・サピエンツァ大学
エクス=アン=プロヴァンス政治学院

フェデリカ・モゲリーニ(イタリア語: Federica Mogherini、イタリア語発音: [fede?ri?ka mo?e?ri?ni]、1973年6月16日 - )は、イタリアの政治家。前欧州委員会副委員長(英語版)兼欧州連合外務・安全保障政策上級代表(2014年 - 2019年)。

2014年2月22日から10月31日まで、中道左派のマッテオ・レンツィ内閣の外務・国際協力相を務めた[1]イタリア民主党欧州社会党所属。

2020年、ベルギーポーランドにキャンパスを置く欧州大学の学長に就任した[2]
経歴
生い立ち

映画監督で美術デザイナーのフラヴィオ・モゲリーニ(1922年 - 1994年)のもとに、ローマで生まれる。ローマ・ラ・サピエンツァ大学で政治学を学び、政治哲学の学位を取得。エラスムス計画フランスエクス=アン=プロヴァンス政治学院に留学中に、「イスラームにおける政教関係」と題した卒業論文を書き上げた[3][4]
政党職員NATO国会議員会議にて

1988年以来イタリア共産主義青年同盟の会員であったモゲリーニは、イタリア共産党が社会民主主義政党に衣替えした後の1996年に青年左翼に合流した。2001年に左翼民主主義者全国評議会の委員となり、のちに全国執行委員会や政治委員会で職務に当たった。2003年に左翼民主主義者の外務局に移り、国際運動や他党関係部門の責任者となった。のちには部局の取りまとめ役となり、ピエロ・ファッシノ書記長のもとで外交や国際関係の責任者を務めた。在職中はアフガニスタンやイラク、中東和平プロセスに関する政府の政策の監視にあたった。欧州社会党社会主義インターナショナル、それにアメリカ合衆国民主党をはじめとする左派諸政党との関係を保つ役割も受け持った。

2007年11月4日に民主党が結党されると、結党者で初代書記長のワルテル・ヴェルトローニのもとで勤務した。
国会議員

2008年、モゲリーニはヴェネト州選挙区から代議院議員に当選した。第16議会で国防委員会の理事を務め、欧州評議会西欧同盟のイタリア国会議員派遣団にも加わった。

2009年2月24日には、新たに書記長となったダリオ・フランチェスキーニから機会均等部門の責任者に任命された。このときから、モゲリーニはフランチェスキーニ派のひとりとして有名になった[5]。モゲリーニは米伊財団の副理事長も務めた[6]

2013年2月には、エミリア=ロマーニャ州選挙区から国会議員に再選された。第17議会では国防委員会や外務委員会に所属し、北大西洋条約機構 (NATO) 国会議員会議のイタリア代表団の一員となり、その団長も務めた[7]

2013年12月9日には、新たに書記長となったマッテオ・レンツィから欧州関係部門の責任者に任命された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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