フェスティバルホール
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初代・2代目ホワイエ

初代・2代目ホール内観(ステージ側)

初代・2代目ホール内観(客席側)等
画像提供をお願いします。(2018年12月)

フェスティバルホール
Festival Hall
2代目フェスティバルホール

情報
正式名称フェスティバルホール
完成2012年
開館2012年12月20日
収容人員2700人
客席数2700席
設備オーケストラピット、スライディングステージ、ピアノ
用途主としてコンサート(多目的
運営朝日ビルディング
所在地530-0005
大阪府大阪市北区中之島2丁目3番18号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分36.7秒 東経135度29分48.3秒 / 北緯34.693528度 東経135.496750度 / 34.693528; 135.496750 (フェスティバルホール)座標: 北緯34度41分36.7秒 東経135度29分48.3秒 / 北緯34.693528度 東経135.496750度 / 34.693528; 135.496750 (フェスティバルホール)
最寄駅

京阪中之島線渡辺橋駅12番出口直結

地下鉄四つ橋線肥後橋駅4番出口直結

JR大阪駅桜橋口より徒歩約11分

地下鉄御堂筋線京阪本線淀屋橋駅より徒歩約5分

JR東西線北新地駅より徒歩約8分
※ いずれも2017年4月現在[1]
最寄バス停大阪シティバス渡辺橋バス停
最寄IC

阪神高速1号環状線土佐堀出口

阪神高速11号池田線出入橋出口

外部リンクhttps://www.festivalhall.jp/
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中之島フェスティバルタワーとと中之島フェスティバルタワー・ウエスト(右)初代フェスティバルホール

フェスティバルホール (Festival Hall) は、大阪府大阪市北区中之島二丁目に所在する文化施設(多目的ホール)。中之島フェスティバルホールとも呼ばれている。朝日ビルディングが運営している。
概要

高度経済成長に差し掛かったばかりの昭和30年代初期の日本には、芸術性の高い演奏会を開催するのにふさわしいコンサートホールは存在しなかった。

そこで、エディンバラザルツブルクといった名だたる音楽祭に匹敵する国際的な音楽祭を開催できるホールを大阪の地に、ということで1958年(昭和33年)4月3日に新朝日ビルディング内にオープンしたのが当ホールである[2](竣工も1958年[3]。同じ年には東京タワーも竣工しており、3年後の1961年には東京文化会館も竣工、開館している)。

土佐堀川に面する南側壁面には「牧神、音楽を楽しむの図」と題された信楽焼の大レリーフが施され、中に入ってみれば豪華なシャンデリアを備えるロビー、そして間口30.7m・奥行22.5mの大舞台と2700席の客席を擁する当ホールは、当時世界有数と謳われるほどであった[4]

また木質系の材料で張り巡らされたホール筐体内部は音響特性に優れ、開館以来「残響の長さだけでなく音がまろやかに豊かに響く」とか「天井から音が降り注ぐ」等と称えられるほどだった。そしてこのことが、クラシック音楽はもとより、ロックなどのポピュラー音楽ジャズ狂言などの純邦楽など、あらゆるジャンルのアーティスト達から愛される存在へと成長するファクターとなった[4][5]

しかし、老朽化による建て替えのため、開館50周年を迎えた2008年いっぱいで一旦閉館。この時点で来場者数は4千万人に届くところまで来ていた。閉館から4年余り経った2012年12月、超高層ビルとして建設された「中之島フェスティバルタワー」内に2代目ホールが開館した。
旧ホール(初代:1958年 - 2008年末)旧ホールが入居していた旧:新朝日ビル
特性と実績

1階席の奥や2階席が急勾配となっており、そのためホールにある2700席の座席全てからステージがよく見え、音の響きも常に均一である(残響時間は空席時で1.9秒、満席時で1.7秒[6])。

大阪大学産業科学研究所の北村音壱が音響設計を手がけており、優良ホール100選にも選ばれた。

1970年には日本万国博覧会のクラシック音楽公演会場として使用され、日本国際映画祭や能楽も含め会期中103公演が行われ延べ19万人余りの観客を集めた[7]

その後、1983年にコンピュータ制御による調光装置が導入され、1989年には音響調整卓も更新され、一層の充実が図られた。

前記の通り優れた音響特性を有していることから世界のトップアーティストからも絶賛され、レッド・ツェッペリンなどもここでコンサートを行った。

ライブ・アルバムのための録音が行われることも多く、ディープ・パープルの『ライヴ・イン・ジャパン』、マイルス・デイヴィスの『パンゲア』等は世界中でロングセラーを続けている。

またクラシック音楽分野でも海外主要オーケストラや歌劇団、アーティスト個人が当ホールのステージを踏んできており、殊にバレエに関しては関西におけるメッカとして国内外の数多くのバレエ団がここのステージを踏んできている。

このほか、少年隊によるミュージカル公演も1988年から2005年にかけて毎年開催されていた。

大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会は開館以来、朝比奈隆が常任指揮者である間、当ホールにて行われた。
アーティストからの評価

『音の職人』とも称されるほど音質にとことんこだわる山下達郎は、1980年5月にコンサートツアー「RIDE ON TIME CONCERT'80」の大阪公演で当ホールのステージを初めて踏んで以来、自身のコンサートツアーの大阪公演では必ず当ホールを公演会場として使用してきており[8]、後記の通り、老朽化に伴う建て替え計画には懸念の情を示すほどだった。

またさだまさしも大阪での公演の殆どを当ホールで開いてきており、「神様が作ったホール」と称賛している[2][9]


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