フェカン
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Fecamp



行政
フランス
地域圏 (Region)ノルマンディー地域圏
(departement)セーヌ=マリティーム県
(arrondissement)ル・アーヴル郡
小郡 (canton)フェカン小郡
INSEEコード76259
郵便番号76400
市長任期)ジャンヌ・パトリック
2008年-2014年
自治体間連合 (fr)fr:Communaute de communes de Fecamp
人口動態
人口19,424人
2006年
人口密度1289人/km2
住民の呼称Fecampois/Fecampoises[1]
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度45分30秒 東経0度22分48秒 / 北緯49.7583333333度 東経0.38度 / 49.7583333333; 0.38座標: 北緯49度45分30秒 東経0度22分48秒 / 北緯49.7583333333度 東経0.38度 / 49.7583333333; 0.38
標高平均:m
最低:0 m
最高:125 m
面積15,07km2 (1,507ha)
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公式サイト ⇒www.ville-fecamp.fr
テンプレートを表示

フェカン (Fecamp)は、フランスノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県コミューン。かつてタラ漁で栄えた漁港である。
地理

ル・アーヴルの北約40kmにある。コー地方の心臓部にあたるヴァルモン川のヴァルーズ(fr、石灰岩質の海岸の岸壁に自然に生まれたくぼ地)に位置する。
由来トリニテ・ド・フェカン修道院第二次世界大戦中に設置されたナチス・ドイツのレーダー白亜の崖の上にたつ風力発電の風車

875年に初めて名が伝えられ、990年にはFiscannum、その後Fiscannusと記された[2]。この古いつづりは『イチジクの木のある野原』を意味するFici campusとは学術的にも語源学的にも関連がない[3]。しかししばしば、語末にpが付く現在のつづりに触発されるためにコミューンとの関連を指摘されている。

Fecanという名の進化は、『ヴァルモン(Valmont)の川』を意味する語源、FISCANNUからなされた。ゲルマン語由来のfiskという名称は、接尾辞を誤って識別した『魚』という言葉だと認識されている。
歴史

ガリア時代にオッピドゥムが、現在のコミューン南東部にあるコート・デュ・カナダ(カナダ海岸)と呼ばれる場所につくられた。紀元前1世紀頃建てられた遺構を現在も見ることができる。ローマ時代、エトルタからフェカンに至る道は、現在のフォン=ピトロン地区を通っていた。現在のD940道路はこのローマ道をなぞっている。

7世紀、フランク王国の家臣であった聖レジェがフェカンに修道院を建てた。9世紀、ヴァイキングがノルマンディーを襲撃し、修道院を略奪した。911年以降、フェカンとその周辺は、ノルマン地名学によるとNortmanniの土地となった[4][5]。主にフランクやアングロ・サクソンの硬貨だけでなく、地中海で流通した硬貨まで発見されている。これはノース人が戦いを繰り広げ身代金を略奪した場所を意味する。ほとんどの硬貨は970年から980年代に埋められたものである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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