フェイ・レイ
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この項目では、カナダ出身の女優フェイ・レイについて説明しています。日本の歌手フェイレイについては「Fayray」をご覧ください。

フェイ・レイ
Fay Wray
フェイ・レイ(1930年撮影の宣材写真)
本名Vina Fay Wray[1]
生年月日 (1907-09-15) 1907年9月15日
没年月日 (2004-08-08) 2004年8月8日(96歳没)
出生地 カナダ アルバータ州カードストン
死没地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨークマンハッタン
国籍 カナダ
アメリカ合衆国
職業女優
活動期間1923年-1980年
配偶者ジョン・モンク・サンダース(英語版)(1928年-1939年)
ロバート・リスキン(1942年-1955年)
サンフォード・ローゼンバーグ(1971年-1991年)
著名な家族ヴィクトリア・リスキン(英語版)(娘)
主な作品
キング・コング
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フェイ・レイ(Fay Wray、1907年9月15日 - 2004年8月8日)は、アメリカ合衆国女優カナダ出身で、『キング・コング』のアン・ダロウ役として知られている。また、ホラー映画の常連女優(絶叫クイーン)としても世界的に知られている。1926年にワンパス・ベビー・スターズに選ばれたことで注目を浴び、パラマウント・ピクチャーズと契約を結び12本以上の映画に出演した。パラマウントを離れた後はホラー映画や『バワリイ(英語版)』『奇傑パンチョ』などの西部劇映画への出演が増え、『キング・コング』への出演で映画史に名前を残した。
生涯
生い立ち

カナダアルバータ州カードストン(英語版)近郊の牧場で生まれる。母エルヴィナ・マルグリット・ジョーンズはソルトレイクシティ出身、父ジョゼフ・ハーバー・レイはキングストン・アポン・ハル出身で、2人とも末日聖徒イエス・キリスト教会の信者だった[2]。フェイ・レイは6人兄弟姉妹の1人であり[3]、ダニエル・ウェブスター・ジョーンズ(英語版)の孫娘である。両親は末日聖徒イエス・キリスト教会の信者だったが、フェイ・レイは洗礼を受けていない。一家は1912年にソルトレイクシティに移住し[4]、1914年にはラーク(英語版)に移住した。1919年にソルトレイクシティに戻り、その後はロサンゼルスに移住し、フェイ・レイはハリウッド高校(英語版)に入学した。
女優.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}『テキサス無宿』のフェイ・レイとゲイリー・クーパー『猟奇島』のフェイ・レイとジョエル・マクリー『キング・コング』のフェイ・レイとキングコング

1923年、16歳のフェイ・レイは地元の新聞社がスポンサーになった短編歴史映画で初めて映画に出演した[5]。1920年代は『The Coast Patrol』で主要キャストに起用された他、ハル・ローチ・スタジオ(英語版)と週給60ドルで半年間の契約を結び、同スタジオの作品に出演していた[1]。1926年にはワンパス・ベビー・スターズの一人に選ばれている。当時のフェイ・レイはユニバーサル・スタジオと契約しており、主に西部劇映画でバック・ジョーンズ(英語版)と共演していた。

1927年にパラマウント・ピクチャーズと契約を結び、エリッヒ・フォン・シュトロハイムの『結婚行進曲(英語版)』のヒロイン役に起用された。同作は高額な製作費を投じた映画として注目を集めたが、興行的には失敗に終わった。また、フェイ・レイにとっての初主演作品となった。彼女はパラマウントで十数本の映画に出演し、その中で時代はサイレント映画からトーキー映画に移行していった[6]

パラマウントを離れたフェイ・レイは、他の映画製作会社の下で『ドクターX(英語版)』『肉の蝋人形』などのホラー映画に出演した。その後はRKOと契約を結び、『猟奇島』でジョエル・マクリーロバート・アームストロングと共演した。『猟奇島』と同時並行で製作されたのがフェイ・レイの代表作となる『キング・コング』である。フェイ・レイによると、『キング・コング』のアン・ダロウ役にはジーン・ハーロウが起用される予定だったが、彼女がメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと専属契約を結んだため起用できなくなったという[7]。ハーロウの起用が不可能になったため、監督のメリアン・C・クーパーは1万ドル(2020年の貨幣価値で20万ドル)の出演料でフェイ・レイをアン・ダロウ役に起用した[8]。『キング・コング』と『猟奇島』のジャングルのシーンは同じセットで撮影され、日中は『キング・コング』、夜間は『猟奇島』の撮影が行われた。『キング・コング』は興行的に大きな成功を収め、フェイ・レイは同作がRKOを倒産の危機から救ったことを誇りに思っていたという[9]。一方で『キング・コング』での役柄から「絶叫クイーン」として認知され、『キング・コング』以降の映画オーディションに参加するたびに「叫び声を出して欲しい」と要求されるようになったことには辟易しており、「絶叫クイーンと呼ばれるのは好きではありません」と語っている[10]

『キング・コング』以降も『世界一の金持ち娘(英語版)』などに出演していたが、1940年代に入ると出演機会が減少した。1942年に2度目の結婚を機に女優業を引退するが、経済的な事情からすぐに復帰した。その後30年間、フェイ・レイはいくつかの映画やテレビシリーズに出演した。1953年から1954年にかけて放送された『The Pride of the Family』ではキャサリン・モリソン役を演じている。1955年には『Queen Bee』に出演した。1950年代は『Perry Mason』『Playhouse 90』『ヒッチコック劇場』、1960年代には『サンセット77』『The Islanders』『The Real McCoys』『The Eleventh Hour』などのテレビシリーズに出演し、1980年に『Gideon's Trumpet』に出演したのを最後に女優業を引退した。
晩年晩年のフェイ・レイ

1991年にボザール舞踏会(英語版)のクイーンに選ばれ[11]、1998年には自伝『On the Other Hand』を出版した[12]。この間、フェイ・レイはジェームズ・キャメロンから『タイタニック』のローズ・ドーソン・カルバート役の打診を受けたが[13]、出演を辞退している。また、第70回アカデミー賞ではプレゼンターの一人として出席している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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