フェイムアンドグローリー
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フェイムアンドグローリー
デリック・スミスの勝負服
欧字表記Fame And Glory
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕 (2006-03-20) 2006年3月20日
死没2017年2月13日(11歳没)
Montjeu
母Gryada
母の父Shirley Heights
生国 イギリス
生産Ptarmigan Bloodstock
& Miss Kirsten Rausing
馬主D.Smith
Mrs.J.Magnier
M.Tabor
調教師Aidan P O'Brienアイルランド
競走成績
生涯成績26戦14勝
獲得賞金2,4232,919ポンド
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フェイムアンドグローリー (Fame And Glory) はイギリスで生産された競走馬である。フェームアンドグローリーと表記される場合もある。
目次

1 経歴

1.1 2歳(2008年)

1.2 3歳(2009年)

1.3 4歳(2010年)

1.4 5歳(2011年)

1.5 6歳(2012年)

1.6 引退後

1.7 競走成績


2 血統表

3 脚注

4 外部リンク

経歴
2歳(2008年)

10月22日にナヴァン競馬場で競走馬デビュー戦を迎え、デビュー初戦で初勝利を挙げた。その後はフランスに遠征し約3週間後の次走は重賞及びG1競走初挑戦となるクリテリウムドサンクルーに出走することになった。当レースの前週に行われたクリテリウム・アンテルナシオナルを制したザフィシオなどが出走するなか、当時1勝馬だった本馬は11頭中5番人気に支持された。雨の影響で道悪の中で行われたレースでは、ゴール前で4頭が絡む接戦の中、2着のドラムビートに半馬身差をつけて1着となり、重賞及びG1競走初勝利を挙げた。この勝利は鞍上のジョニー・ムルタと馬主にとっても同競走初勝利となり、オブライエン厩舎にとっては6年ぶり3度目の勝利となった。また、ドラムビートとは同じオブライエン厩舎で、同じモンジュー産駒のワンツーともなった。レース後は休養に入り2戦2勝で2歳を終えた。
3歳(2009年)

休養を終えて4月19日のバリーサックスステークス (G3) から始動し、1番人気に応えて快勝。幸先の良いスタートとなった。続く5月10日アイリッシュダービートライアルステークス (G2) は新たにジェームズ・ヘファーナンが騎乗してレースを制し、デビュー戦以来無敗の4連勝を達成した。6月6日ダービーステークスでは1番人気に推されるものの、2000ギニーを制したシーザスターズをとらえきれずに2着に敗れた。6月28日アイリッシュダービーでは鞍上がJ.ムルタに戻る。二冠馬シーザスターズは出走を取り消していた。レースでは2着ゴールデンソードに5馬身差をつけ優勝し、オブライエン厩舎は1・2フィニッシュと共にアイリッシュダービー4連覇・7勝目の偉業を達成。本馬も父モンジューとの親子制覇を達成した。その後、9月5日アイリッシュチャンピオンステークスではシーザスターズとの2度目の対決となったが、またもや2着に敗れ、前回の雪辱はならなかった。そして本番の凱旋門賞ではシーザスターズが快勝したのとは対照的に見せ場がなく6着に終わった。続くチャンピオンステークスでは1番人気に支持されたが、トゥワイスオーヴァーの6着に敗れた。
4歳(2010年)

休養を終えて4月11日のアレッジドステークスに出走したが、3着に敗れた。続く5月3日のムーアズブリッジステークス (G3) では2着馬に5馬身差をつけ圧勝した。5月23日タタソールズゴールドカップでは単勝1.5倍の圧倒的1番人気に推され、レースでは2着馬に7馬身差の圧勝劇を演じ、G1競走3勝目を挙げた。6月4日コロネーションカップでは2番手追走から楽に抜け出し、サリスカを1馬身半突き放して快勝、G1競走4勝目を挙げた。8月8日のロイヤルウィップステークス (G2) では後続に3馬身半差をつけ勝利し、格の違いを見せ付けた。しかし本番の凱旋門賞ではワークフォースの5着に敗れた。
5歳(2011年)

4月17日のヴィンテージクロップステークスと5月29日のサヴァルベグステークスを共に勝利。6月16日ゴールドカップを快勝、G1競走5勝目を挙げた。その後8月20日のセントレジャートライアルステークスは2着、9月10日アイリッシュセントレジャーは4着に終わる。10月15日ブリティッシュ・チャンピオンズ・ロングディスタンスカップはレース中盤で先頭に立つと後続の追撃をしのいで勝利した。この年、カルティエ賞の最優秀ステイヤーに選出される。
6歳(2012年)

休養を終えて5月20日のヴィンテージクロップステークスから始動し、1番人気に応えて勝利。続く6月21日ゴールドカップでは1番人気に推されるものの7着に敗れた。約3ヶ月の休みを経てアイリッシュセントレジャーで6着、ブリティッシュ・チャンピオンズ・ロングディスタンスカップは5着に敗れる。次走はアメリカへ遠征し、ブリーダーズカップ・マラソンへ出走するがレース中盤で大きく後退し、競走中止となった。これを最後に引退し、アイルランドのグランジ・スタッドで種牡馬となった[1]
引退後

2017年2月13日、種付け中に心臓発作と思われる症状により死亡した[2]
競走成績

出走日競馬場競走名格距離着順騎手1着(2着)馬
2008.10.22ナヴァンメイドン芝8f1着S.ハンター(Sirgarfieldsobers)
0000.11.12サンクルークリテリウムドサンクルーG1芝2000m1着J.ムルタ(Drumbeat)
2009.04.19レパーズタウンバリーサックスSG3芝10f1着J.ムルタ(Fergus McIver)
0000.05.10レパーズタウン愛ダービートライアルSG2芝10f1着J.ヘファーナン(Mouirayan)
0000.06.05エプソムダービーG1芝12f10y2着J.ヘファーナンSea the Stars
0000.06.28カラ愛ダービーG1芝12f1着J.ムルタ(Golden Sword)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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