フィン・マックール(Fionn mac Cumhaill)はケルト神話に登場する、エリン(アイルランドの古い呼び名)の上王コーマックを守る、フィアナ騎士団の団長。レンスター国のバスクナ一族の生まれで、生来の名はデムナ(ディムナ)だったが、金髪で肌が白くて美しいことからフィン(色白の意)と呼ばれるようになった。
アイルランド神話を構成する@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}4つの物語群の内の三番目にあたる[要出典]フィン物語群で伝えられる。 一般的にフィンの両親とされるのはフィアナ騎士団の団長クール・マックトレンモー
系譜
フィン・マックールの血統に関する最も有名な系譜は、氏族の名祖であるバスクナを古代のレンスター王ヌアドゥ・ネフト(Nuadu Necht(英語版)[1])の末裔とするものである。しかし、バスクナの祖先を古代のマンスター王Deda mac Sin(英語版)[2]とする系譜も存在する。
フィンの母方の祖父 Tadg mac Nuadat(英語版)[3]の名は「ヌアドゥの息子タイグ」を意味する。このヌアドゥとはヌアザその物であるとも、レンスターにおけるヌアザの顕現であるともされる。また、一見奇妙な事だがタイグ本人もヌアザの別名である可能性があると考えられている。こうした理由でフィンはヌアザの孫とも曾孫ともされる[4][5]。 フィン・マックールはヌアザの孫娘マーナとフィアナ騎士団の団長クール・マックトレンモーとの間に生まれた。成長してフィンと呼ばれるようになったが、それまでは別の名で呼ばれており、デムナという幼名が最もよく知られている。 クールとマーナの関係は周囲から祝福されたものではなかった。それというのもクールは舅となるタイグから許しを得ずにマーナを連れ出しており、タイグが上王である百戦のコン
生涯
生い立ち
育ての母親たちに荒野で生きるためのあらゆることを授けられたデムナは、素晴らしい狩人になった。ある日、家である小屋から離れたところに出歩いたデムナと同じ年頃の少年たちがしているハーリングに興味を持ち、仲間に入って遊んだところ、たちまちの内に上達し一人で全員を相手に勝利を治めた。このことを知った少年たちの族長がデムナに興味を持ち、名前を誰も知らなかったので外見の特徴である「太陽のように明るい髪をしている」から「フィン」と呼ぶようになった[8]。
フィン・マックールという名が知れ渡るということは、同時にフィンの命が脅かされるということでもあった。当時のフィンの敵は上王である百戦のコン、コノートのフィアナの長であるゴル・マクモーナ、百戦のコンの養父だったコノート王コナル、上王コンに従う名高いターラのルグネ[9]だった。旅する中でフィンは王や族長に仕え、戦士としての経験を積む。 フィン・マックールが表舞台に出ると同時期に、アイルランドから追放されていたマンスター王ムグ・ヌアザ
ムグ・ヌアザの帰還
ムグ・ヌアザはマンスターを平定すると、百戦のコンに対して次々と勝利を収めてついに自らのアイルランドの南半分の支配権を百戦のコンに認めさせた。この際、ムグ・ヌアザはフィン・マックールに南部における勇士の首席を授けている。 フィンは、サウィン祭のころにターラの王宮の上王コンの元へ行き、近衛騎士として仕えることを申し出る。これはフィアナ騎士団に所属するには団長のゴルに忠誠を誓わねばならないからである。王に快く受け入れられたフィンだが、宴の中で宮殿を二十年間毎年サウィン祭のころに燃やしてしまう『炎の息のアイレン』という怪物を倒したものに褒美を取らせる、という上王の言葉を聞いた際に、恩賞に騎士団長の座を頂けるか交渉し、了承させる。 『炎の息のアイレン』は竪琴の音を聞いたものを魔法の眠りに付かせる不思議な力を持っているため、これまで誰にも倒すことが出来なかったが、フィンは父に恩のある騎士の一人から魔法の槍を受け取っていた。これは袋を被せておかないと勝手に血を吸おうとする獰猛な槍で、穂先を額に当てることで、眠気を吹き飛ばすことが出来た。これによりフィンはアイレンの音色を打ち破り、討ち倒す。こうしてフィンはフィアナ騎士団の首領の座に収まり、前団長にして父の仇であるゴルとも手を結んだ。 一説によればゴルを決闘で倒したことにより騎士団長の座を得たという。 百戦のコンとムグ・ヌアザはアイルランドを分割して支配していたが、ついに両者は雌雄を決するべく戦うことになり、フィン・マックールはターラの防衛を任されるとともに勝者に仕えるように百戦のコンに告げられた。戦いの果てに百戦のコンが勝利してムグ・ヌアザは戦死した。 百戦のコンの死後はコンの娘婿コナラ・コーエム 当時のマンスターではムグ・ヌアザの息子アリル・オーロム
フィアナ騎士団長の座へ
百戦のコンからアート王の時代にかけて
マックコン王の盛衰とコーマック王の台頭