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フィンランドの国章
詳細
使用者フィンランド
採用1978年
フィンランドの国章(フィンランドのこくしょう、英: Coat of arms of Finland)とは、現在のフィンランドの国章を指すが、広義にはその前身に当たる国家の国章をも含めた総称である。歴史ある「グスタフ1世の紋章」をあしらったものが代表的な意匠と言える。
右に画像で示したのが現在の国章であるが、これもグスタフ1世の紋章の流れを汲むライオン像を核としてデザインされている。赤一色のフィールドに描かれているこの金のライオン・ランパントは、戴冠していること、右前肢(右の前脚)だけが防具を装着して剣を振りかざした人の腕に置き換わっていること、両脚で刀を踏み付けていること、以上3つの伝統的造形を特徴としている。加えて、フィールドに散りばめられた9ひらの銀の薔薇の花も、ライオン像と同じ歴史を誇る意匠である。
現在の国章が公式に制定されたのは比較的最近の1978年であるが、件のライオン像は1580年より前に作成されていたことが分かっている。 西欧ではライオンが描かれている紋章が多く、いくつかの欧州の国家では国章にライオンが描かれている。北欧諸国では12世紀後半のデンマークの国章に初めてライオンが描かれた。12世紀初頭、フィンランドの地はスウェーデン王国によって属州とされた。最初にスウェーデンでライオンを使った紋章はスウェーデン王族のエリク10世とエリク11世の紋章で、それぞれ2頭、3頭のライオンが描かれていた。フォルクング朝の最初の王であるヴァルデマール王も、自らの紋章に3頭のライオンを描いた。3頭のライオンの背後には、たくさんのハートの模様が描かれている。 最初のフィンランド公であるベネディクト
背景フォルクンガ朝の紋章ヴァルデマール王の紋章
北欧の国章にみられるライオン
フィンランド公国時代ヴァルデマール公の紋章
1577年あるいはその少し後にフィンランドとカレリアの大公(後にフィンランド大公に改称)の号を得たスウェーデン王ヨハン3世の時代に、ライオンは大公の紋章と密接に結びつけられた。大公の紋章はイェータ・ライオン(フォルクンガ・ライオンが原型)とカレリアの国章を組み合わせたものだと考えられている。この結果、ライオンは一本の腕で剣を掲げ、落ちている剣を踏みつけるというデザインになった。
一番良く知られている大公の紋章はウプサラ大聖堂にあるグスタフ1世の墓標に刻まれたものである。それはヨハン3世もしくは彼の異父兄のエリック14世が考案したと伝えられている。どちらが考案したかは正確には分かっていないが、エリック14世は紋章学に興味を持っていたことが知られている。
この墓標はフランドルの建築家・彫刻家で、スウェーデンでも活躍したギヨーム・ボイエンによって制作された。彼は1562年にアントワープで仕事にとりかかり、10年後には国王夫妻の彫像が完成したものの、彼の金銭問題が原因で、石棺は1583年までウプサラに運ばれなかった。完成したのは1591年の事である。墓碑にはスウェーデン国章とフィンランド国章に加え、南北フィンランド、タバスティア、カレリアなど11州の紋章が描かれている。ギョーム・ボイエンの仕事はとても素晴らしい物であったが、それは、ライオンがフランスの紋章において特徴的だったということが一因として考えられる。おそらく彼は国王の仕事を受ける前にライオンの紋章を多く作成していたと考えられるからである。