この項目「フィンランドの国旗」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:英語版 "Flag of Finland" 12:13, 11 July 2013 (UTC)
)フィンランドの国旗
名称フィンランド国旗
使用市民旗 ?
比率11:18
採用1920年
デザイン白地に青いスカンディナヴィア十字
デザイナー原案:アクセリ・ガッレン=カッレラ
最終版:エーロ・スネルマン
ブルノ・トゥーッカネン
名称フィンランド政府公用旗
使用政府用旗 ?
比率11:18
採用1978年
デザイン白地に青いスカンディナヴィア十字、十字の交点に四角形の国章(赤字に金色・銀色の配色)が配置されている
名称フィンランド軍旗
使用軍旗 ?
比率11:19
採用1978年
デザイン白地に青いスカンディナヴィア十字、十字の交点に四角形の国章(赤字に金色・銀色の配色)が配置されており、旗尾に燕尾型の切れ込みが入っている
名称フィンランド大統領旗
使用その他 ?
比率11:19
採用1978年
デザイン白地に青いスカンディナヴィア十字、十字の交点に四角形の国章(赤字に金色・銀色の配色)が配置されており、旗尾に燕尾型の切れ込みが入っている。更に、左上の白い部分に自由十字(青色に金色の配色)を配置したもの。
フィンランドの国旗 (フィンランド語: Suomen lippu、スウェーデン語: Finlands flagga) は、20世紀初頭から使用されるようになった国旗。場合によっては、siniristilippu(「青十字旗」の意)とも呼ばれる。白地にキリスト教を反映しているとされる青のスカンディナヴィア十字を描いた旗[1][2][3]。政府公用旗は、市民旗に四角形のフィンランドの国章がスカンディナヴィア十字の交点の部分に配置された物である。この政府公用旗の旗尾に燕尾型にしたものが軍旗として使用される。更に大統領旗も制定されており、こちらは軍旗の左上の白い部分に、自由十字勲章にちなんだ自由十字が配置されている。スウェーデンの国旗のように、フィンランドの国旗は、スカンディナヴィア十字を基にした旗である。この国旗は、フィンランドがロシア帝国の(フィンランド大公国)から独立を宣言して成立したフィンランド王国で採用された。これは、多くの愛国的なフィンランド人達が自分たちの国のための特別な旗を欲していた際に制定された。ただし、このデザイン自体は19世紀に行われている。この国旗に使われた青の色は、フィンランドにある数千の湖と海と空を、白が国土を覆う雪を反映しているとされる。この色の組み合わせは、100を超えるフィンランドの州旗、軍旗、自治体旗に使用されている。
歴史
?フィンランド大公国の国旗(1809年から1917年)。ロシア帝国の国旗と同一
?クリミア戦争で一時的(1853年から1856年まで)に使用された商船旗「セントジョージ旗」
?フィンランド王国時代に一時的に使用された国旗(1917年12月から1918年5月まで)
1809年までおよそ600年に渡ってフィンランドは、隣国スウェーデンの支配下にあり、スウェーデンの一部であった(スウェーデン=フィンランド)。しかし、スウェーデンが第二次ロシア・スウェーデン戦争でロシア帝国に敗北すると、フレデリクスハムンの和約によって、フィンランドの地はロシア帝国に割譲された。時のロシア帝国皇帝のアレクサンドル1世は、フィンランドの解放者との立場をとり、フィンランド人に大幅に自治を認め、ロシア帝国の属国であるフィンランド大公国が建国された。このフィンランド大公国の国旗は、宗主国であるロシア帝国の国旗と同一の国旗であった。
最初の「フィンランドの旗」として知られる旗は、フィンランド大公国期の1848年に現在のフィンランドの国歌「我等の地」と共に、初めて使用されている。この旗のデザインは、白地にフィンランドの国章を置き、その周りに月桂樹の葉を配置したものであった。
現在の青い十字を用いたデザインは、1861年にヘルシンキで結成されたヨットクラブ「Nylandska Jaktklubben」において、フィンランド国内で初めて使用された。ただし、この旗は白地に青い十字に加えて、2つの交差する枝に囲まれ、王冠を付けたウーシマー州の州章が左上に配置されていた。ただし、この旗の十字のデザインは、「Nylandska Jaktklubben」の設立以前に存在していた、サンクトペテルブルク・ヨットクラブのものに近かった。このデザインは、ロシア帝国海軍の軍艦旗を基にしていたとも言われている。ただし、ロシア帝国海軍の軍艦旗は、白地に青色のサルタイア(X字の十字)を用いた物であり、スカンディナヴィア十字のものではない。クリミア戦争の間、イギリス・フランス艦隊に捕縛されたフィンランドの商船は、セント・ジョージ旗と呼ばれた旗を掲げた。これは、ロシア税関旗を基とした旗であった。その違いは、そのセント・ジョージ旗の十字が現代的な旗より幾分色が薄い程度で、その形はほぼ同じであったことによる。そして、個人船のために1861年に別の旗として、青十字の旗が公的に作成された。
1910年、フィンランドのロシア化に関連してロシア当局は、青十字の旗のカントンの部分にロシア帝国の国旗を追加する法令を布告した。しかし、この布告がフィンランドの反ロシア勢力に伝わると、その旗は「奴隷の旗 (Orjalippu)」と呼ばれ、フィン人達はその旗を掲げることを拒否した。その代わりに、この修正を行っていない三角形のペナントが掲げられ、それによって、この旗に関する布告を回避した。