フィンバック_(潜水艦)
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USS フィンバック

基本情報
建造所ポーツマス海軍工廠
運用者 アメリカ海軍
艦種攻撃型潜水艦 (SS)
級名ガトー級潜水艦
艦歴
発注1940年6月12日[1]
起工1941年2月5日[2]
進水1941年8月25日[3]
就役1942年1月31日[3]
退役1950年4月21日[4]
除籍1958年9月1日[2]
その後1959年7月15日、スクラップとして売却[2]
要目
水上排水量1,526 トン
水中排水量2,410 トン
全長311フィート9インチ (95.02 m)
水線長307フィート (93.6 m)
最大幅27フィート3インチ (8.31 m)
吃水17フィート (5.2 m)
主機フェアバンクス・モース38D-1/8型10気筒ディーゼルエンジン×4基
電源エリオット・モーター製 発電機×2基
出力水上:5,400馬力 (4.0 MW)
水中:2,740馬力 (2.0 MW)
最大速力水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離11,000カイリ/10ノット時
潜航深度試験時:300フィート (91 m)
乗員士官、兵員70名(平時)
士官、兵員80 - 85名(戦時)
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本


竣工時
3インチ砲×1基機銃
1942年9月[5]
3インチ砲×1基20mm機銃7.62mm50口径機銃7.62mm30口径機銃
1943年1月[6]
4インチ砲(英語版)×1基20mm機銃×2基7.62mm50口径機銃
1944年11月[7]
4インチ砲×1基40mm機関砲20mm機銃

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フィンバック (USS Finback, SS-230) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はナガスクジラに因む。なお、退役から12年後にスタージョン級原子力潜水艦22番艦として2代目「フィンバック (SSN-670) 」が就役している。ナガスクジラ(通称Finback)
艦歴

「フィンバック」は1941年2月5日にメイン州キタリーポーツマス海軍工廠で起工する。1941年8月25日にA・E・ワトソン夫人によって進水し、艦長ジェシー・L・ハル少佐(アナポリス1926年組)の指揮下1942年1月31日に就役する。ニューロンドンから太平洋戦線に送られ、5月29日に真珠湾に到着。ただちにミッドウェー海戦に参加した。海戦後、6月9日に真珠湾に帰投。以後、終戦までに12度の哨戒を行った。後の合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュを救助した潜水艦としても知られる(後述)。
第1、第2の哨戒 1942年6月 - 11月

6月25日、「フィンバック」は最初の哨戒でアリューシャン列島方面に向かった。この方面にはすでに日本軍が進出しつつあった。7月5日に.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度44分 東経177度27分 / 北緯51.733度 東経177.450度 / 51.733; 177.450の地点で天霧型および朝潮型と推定される2隻の駆逐艦と接触し、2つの目標に対してそれぞれ魚雷を3本ずつ発射した[8]。元海上自衛隊一等海佐で艦艇研究家の田村俊夫は、その頃に至近距離から魚雷4本の攻撃を受けた駆逐艦若葉」が、「フィンバック」に雷撃された駆逐艦であろうとする[9][10]。8月9日から11日にかけてはタナガ湾に入り、タナガ島に調査チームを上陸させた後、翌12日にダッチハーバーに寄港[11]。8月23日、48日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

9月23日、「フィンバック」は2回目の哨戒で東シナ海に向かった。10月14日午後、北緯25度20分 東経121度01分 / 北緯25.333度 東経121.017度 / 25.333; 121.017[12]の地点で水雷艇」に守られた第174船団を発見。そのうちの1隻である輸送船「帝村丸」(元フランス船ヴィル・ド・ヴェルダン/帝国船舶、7,007トン)[13]に対して魚雷を2本発射し、右舷に魚雷が命中した「帝村丸」は漂流の後沈没した[14][15][16]。「フィンバック」は深深度潜航で攻撃海域を去った。10月18日にも北緯25度15分 東経121度55分 / 北緯25.250度 東経121.917度 / 25.250; 121.917の基隆近海で貨客船「丹後丸」(日本郵船、6,893トン)に対して艦尾発射管から魚雷を2本発射するも、相手は推定13.5ノットで航行していたとみられ命中せず、さらに魚雷を2本発射したが結果は同じであった[17][18]。10月20日夜、「フィンバック」は北緯24度26分 東経120度26分 / 北緯24.433度 東経120.433度 / 24.433; 120.433の地点で、基隆から馬公に回航途中の3隻の輸送船「はわい丸」(大阪商船、9,467トン)、「あふりか丸」(大阪商船、9,476トン)、「ろんどん丸」(大阪商船、7,190トン)を発見[19]。日が変わった10月21日1時4分、「フィンバック」は二番船「あふりか丸」に対して魚雷を2本ずつ発射[20]。そのうちの2本は左舷に命中し、1時10分に沈没[21]。また「ろんどん丸」にも魚雷を命中させたが、同船は辛うじて沈没を免れた[21][22][注釈 1]


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