フィンセント・ファン・ゴッホ
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フィンセント・ファン・ゴッホ
Vincent van Gogh
自画像』(1887年
シカゴ美術館
誕生日1853年3月30日
出生地 オランダ北ブラバント州フロート・ズンデルト
死没年 (1890-07-29) 1890年7月29日(37歳没)
死没地 フランス共和国ヴァル=ドワーズ県オーヴェル=シュル=オワーズ
墓地 フランスヴァル=ドワーズ県オーヴェル=シュル=オワーズ共同墓地[1]
墓地座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度4分30.8秒 東経2度10分43.8秒 / 北緯49.075222度 東経2.178833度 / 49.075222; 2.178833
国籍 オランダ
運動・動向ポスト印象派(後期印象派)
芸術分野絵画
教育ブリュッセル王立美術アカデミー(1880年末一時在籍)
アントウェルペン王立芸術学院(1886年初頭一時在籍)
フェルナン・コルモン画塾(1886年)
代表作『ジャガイモを食べる人々』、『ひまわり』、『糸杉と星の見える道』、『星月夜』、『カラスのいる麦畑』など
後援者テオドルス(弟)
影響を受けた
芸術家アントン・モーヴドラクロワモンティセリミレー印象派ジャポネズリー浮世絵
影響を与えた
芸術家ポスト印象派世紀末芸術フォーヴィスムドイツ表現主義アントナン・アルトー芥正彦など多数
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フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ[注釈 1]オランダ語: Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、オランダポスト印象派画家

主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代(1888年 - 1889年5月)とサン=レミでの療養時代(1889年5月 - 1890年5月)に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である[2]フォーヴィスムドイツ表現主義など、20世紀の美術にも大きな影響を及ぼした。

なお、オランダ人名のファン(van)はミドルネームではなく姓の一部であるため省略しない。

生涯、独身であった[3]
概要.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}グーピル商会の画廊で働いていた19歳頃のファン・ゴッホ[4]。現存する唯一の写真。[注釈 2][5][6][7]1878年(当時21歳)の弟テオ。兄の支援者であり理解者。

ファン・ゴッホは、1853年、オランダ南部のズンデルト牧師の家に生まれた出生、少年時代)。1869年、画商グーピル商会に勤め始め、ハーグロンドンパリで働くが、1876年、商会を解雇された(グーピル商会)。その後イギリスで教師として働いたりオランダのドルトレヒトの書店で働いたりするうちに聖職者を志すようになり、1877年、アムステルダム神学部の受験勉強を始めるが挫折した。1878年末以降、ベルギーの炭坑地帯ボリナージュ地方で伝道活動を行ううち、画家を目指すことを決意した(聖職者への志望)。以降、オランダのエッテン1881年4月-12月)、ハーグ(1882年1月-1883年9月)、ニューネン1883年12月-1885年11月)、ベルギーアントウェルペン1885年11月-1886年2月)と移り、弟テオドルス(通称テオ)の援助を受けながら画作を続けた。オランダ時代には、貧しい農民の生活を描いた暗い色調の絵が多く、ニューネンで制作した『ジャガイモを食べる人々』はこの時代の主要作品である。

1886年2月、テオを頼ってパリに移り、印象派新印象派の影響を受けた明るい色調の絵を描くようになった。この時期の作品としては『タンギー爺さん』などが知られる。日本の浮世絵にも関心を持ち、収集や模写を行っている(パリ時代)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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