フィル・ラモーン
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フィル・ラモーン
フィル・ラモーン
基本情報
出生名Philip Rabinowitz
生誕1934年1月5日
出身地 南アフリカ共和国
死没 (2013-03-30) 2013年3月30日(79歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンルロックジャズ、フォーク、ポップス
職業音楽プロデューサーレコーディング・エンジニア
著名使用楽器
ヴァイオリン

フィル・ラモーン(Phil Ramone、1934年1月5日[1] - 2013年3月30日)は、アメリカ合衆国音楽プロデューサーレコーディング・エンジニアバイオリニスト作曲家としても知られる[2]
経歴

南アフリカ共和国に生まれ、ニューヨークのブルックリンで育った。3歳でバイオリンを始め[3]、10歳のときにエリザベス2世の前で演奏する[3]という神童として知られた。1940年代の終わりにはクラシック音楽のバイオリニストを目指してジュリアード音楽院に進んだ[3]。クラスメートの一人にはジャズサクソフォーン・プレイヤーのフィル・ウッズがいた。

1959年、レコーディング・スタジオ「A&Rレコーディング」を立ち上げた[3]。とりわけ革新的な技術を積極的に用いることでレコーディング・エンジニア、音楽プロデューサーとしての評判を得る。

ポール・サイモンアート・ガーファンクルボブ・ディランフランク・シナトラバリー・マニロウアレサ・フランクリンビリー・ジョエルほか多数のアーティストの作品の制作に関わった(後述)[4][5]

マリリン・モンロージョン・F・ケネディのために歌った(ケネディは「いつ死んでも悔いはない」と言ったという)ハッピーバースデートゥーユーの録音にもクレジットされている[6]

ラモーンがもたらした音楽の技術的な革命には、4トラックレコーダー[6]、映画の光学式サラウンド音声[6]、デジタル録音技術[6]などがあり、A&Rスタジオでは初の一般販売用コンパクトディスクが製作された(大々的に販路に載った最初のCDアルバムは1978年発売のビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』[7])。また最初の商業的なDVDもラモーンの手によるもので、1997年デイヴ・グルーシンによる『ウエストサイド物語』であった。

ニューヨーク州のファイブタウン・カレッジとバークリー音楽大学から名誉学位を授与されており[2]、バークリーでは理事も務めている。

チャック・グラナータとの共著による書籍『Making Records: The Scenes Behind The Music』が2007年10月9日に出版された。

2013年3月30日ニューヨークで死去。大動脈瘤のため入院中だったとされる[8]
主なプロデューサー・エンジニア作品

年号アーティスト作品名担当
1960年
ベン・E・キングスパニッシュ・ハーレムエンジニア[9]
1962年クインシー・ジョーンズBig Band Bossa Novaエンジニア
1963年アントニオ・カルロス・ジョビンThe Composer of Desafinado Playsエンジニア[10]
1964年スタン・ゲッツ
ジョアン・ジルベルトゲッツ/ジルベルトエンジニア
1967年フランク・シナトラThe World We Knewエンジニア
1969年バート・バカラックMake It Easy on Yourselfプロデューサー[11]
1972年マリー・トラヴァースMorning Gloryプロデューサー、エンジニア[12]
1973年ポール・サイモンひとりごとプロデューサー、エンジニア[13]
1973年アリス・クーパーMuscle of Loveエンジニア
1974年フィービ・スノウPhoebe Snowプロデューサー、エンジニア
1974年ギルバート・オサリバンA Stranger In My Own Back Yardエンジニア
1974年アレサ・フランクリンLet Me in Your Lifeエンジニア
1974年ボブ・ディラン
ザ・バンド偉大なる復活エンジニア
1974年ポール・サイモンライヴ・ライミンエンジニア[14]
1975年ポール・サイモン時の流れにプロデューサー、エンジニア
1975年ボブ・ディラン血の轍エンジニア
1977年ビリー・ジョエルストレンジャープロデューサー、エンジニア
1977年アート・ガーファンクルウォーターマークプロデューサー


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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