フィル・ニークロ
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フィル・ニークロ
Phil Niekro
アトランタ・ブレーブス時代(1974年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地オハイオ州ブレイン
生年月日 (1939-04-01) 1939年4月1日
没年月日 (2020-12-26) 2020年12月26日(81歳没)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1958年
初出場1964年4月15日
最終出場1987年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ミルウォーキー・ブレーブス
アトランタ・ブレーブス
(1964 - 1983)

ニューヨーク・ヤンキース (1984 - 1985)

クリーブランド・インディアンス (1986 - 1987)

トロント・ブルージェイズ (1987)

アトランタ・ブレーブス (1987)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1997年
得票率80.34%
選出方法BBWAA[:en]選出
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

フィリップ・ヘンリー・ニークロ(Philip Henry Niekro, 1939年4月1日 - 2020年12月26日)は、アメリカ合衆国オハイオ州ブレイン出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

ニックネームは「Knucksie」。MLBを代表するナックルボーラー(ナックルボールを中心とする投手)の1人。

5歳下の実弟ジョー・ニークロは元投手で、甥のランス・ニークロも元MLB選手。
経歴

1958年6月19日にミルウォーキー・ブレーブスと契約。傘下マイナーチームでのプレイを経て1964年4月15日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー[1]

28歳の1967年に初の10勝を記録し、50日間に及ぶストライキでシーズンが中断された1981年を除いて、47歳の1986年まで19回の2桁勝利を記録し、シーズン20勝も30歳の1969年、35歳の1974年、40歳の1979年と3回記録している。この間、1981年を除いて毎年200イニング以上を投げた息の長さ、しかも現在のMLBではまずあり得ないシーズン300イニング登板[注 1]も4回あり、ここまでのコンスタントな活躍は驚異的である。

弟ジョーもナックルボーラーとして通算221勝を記録した投手で、兄弟の合計勝利数539はMLB最多記録である。1979年には日米野球で来日しているが、この時、弟ジョー(当時ヒューストン・アストロズ)も共に来日し、日本のファンにナックルボールの脅威を見せつけた。

1973年8月5日、サンディエゴ・パドレス戦でノーヒットノーランを達成。守備にも優れ、ナショナルリーグゴールドグラブ賞を5回受賞した。1980年にはロベルト・クレメンテ賞を受賞している。

1983年シーズンオフにブレーブスを戦力外となるが、これまでのニークロの活躍も評価され翌1984年、ニークロの在籍時の背番号『35』はブレーブスの永久欠番に指定される。ニューヨーク・ヤンキース時代(1984年)

同年よりニューヨーク・ヤンキースに移籍。1985年には弟ジョーもヤンキースに移籍。10月6日トロント・ブルージェイズ戦で完封勝利を収め、通算300勝を達成。46歳189日での300勝達成はMLB史上最年長。同時にこの完封勝利もMLB史上最年長となった。この時、ジョーが真っ先にマウンドに駆け寄り、兄を祝福している。

1986年開幕直前に突如ヤンキースから放出され、クリーブランド・インディアンスに移籍。この年も47歳で11勝を記録。翌1987年も夏までに7勝をあげるが、地区優勝を狙うトロント・ブルージェイズに移籍。しかし、3回の先発で打ち込まれて解雇され、引退を表明した。かつて所属していたブレーブスが引退登板のために1試合のみの契約を行い、シーズン最終戦に先発。48歳にして現役を引退した。ニークロのブレーブス在籍時の背番号「35」。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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