フィルハーモニア管弦楽団
The Philharmonia Orchestra
本拠地のロイヤル・フェスティバル・ホール
基本情報
出身地 イギリス・イングランド ロンドン
ジャンルクラシック音楽
活動期間1945年 -
公式サイト ⇒http://www.philharmonia.co.uk/
メンバー首席指揮者
サントゥ=マティアス・ロウヴァリ
終身名誉指揮者
クリストフ・フォン・ドホナーニ
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フィルハーモニア管弦楽団(英語: The Philharmonia Orchestra、愛称:The Phil)は、イギリスのオーケストラで、本拠地は1995年よりロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホール。
オットー・クレンペラー、リッカルド・ムーティをはじめ、多くの指揮者との録音で知られる。楽員数75(2018年現在HP掲載)。 1945年に、EMIの名プロデューサー・ウォルター・レッグによって創設された。レッグの主目的はEMIの製作するレコードのためのオーケストラを作ることにあった。大戦による召集などで、イギリスの他のオーケストラの活動がいまだ低調だったこともあり、優秀な演奏家の積極的な採用が成功した。例えば、1957年に交通事故で夭折するホルン奏者デニス・ブレインも創立当初から首席奏者を務めた(ただしロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との兼任)。
歴史
レッグの時代
レッグおよびEMIの長年にわたるコネクションを活かして、設立当初からヨーロッパ大陸(特に敗戦国ドイツ、イタリア)からの指揮者、独奏者を招いての公演・録音を盛んに行ったことが、フィルハーモニア管を他のオーケストラに対して特徴付けている点だった。1948年にはクレンペラー、フルトヴェングラー、カラヤンの3人を相次いで定期公演の指揮者とし、リヒャルト・シュトラウス『4つの最後の歌』の世界初演はフルトヴェングラーの指揮でフィルハーモニアによって行われた(1950年5月、作曲者の没後)。カラヤンはフィルハーモニアを率いてヨーロッパ大陸ツアーも成功させ(1952年5月)、それは創立10年に満たない楽団の地位向上に貢献した。イタリアからはトスカニーニ、グィード・カンテッリ、ジュリーニがフィルハーモニアのためにタクトを揮っている。
フィルハーモニアとの良好な関係を構築したかに見えたカラヤンは、1955年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任してしまい、その後期待されたカンテッリが1956年に航空事故で急死したことで、リーダー不在の危機が囁かれたが、レッグは大戦後ポジションに恵まれなかった観のあるオットー・クレンペラーをトップに据えることを決断、1959年にはクレンペラーは常任指揮者(後に終身)に就任し、多くの演奏、録音を残す。