フィリペ・ニュシ
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フィリペ・ジャシント・ニュシ
Filipe Jacinto Nyusi


モザンビーク
第4代 大統領
任期2015年1月15日

出生 (1959-02-09) 1959年2月9日(65歳)
ポルトガル領東アフリカ
政党モザンビーク解放戦線
配偶者イザウラ・ニュシ

フィリペ・ジャシント・ニュシ(Filipe Jacinto Nyusi(Nyussiとも[1]), 1959年2月9日 - )は、モザンビーク政治家。同国の第4代大統領。フィリッペ・ニュシとも表記される[2]。2014年の大統領選で与党モザンビーク解放戦線(FRELIMO)の候補となり[3]、当選[4]2015年就任。2008年から2014年まで防衛大臣を務めた。
生い立ち

カボ・デルガード州ムウェダ地区のナマウで生まれる。彼の両親はどちらもモザンビーク解放運動の古参兵であった。モザンビーク独立戦争が始まると、彼はルブマ川からタンザニアへ渡り、トゥンドゥルのFRELIMOの小学校で教育を受ける。中学校はカボ・デルガード州のMaririにあるFRELIMOの学校とベイラサモラ・マシェル中学校に通った[5]

1973年、14歳の時、FRELIMOに加入し、タンザニアのナチングウィアで政治学と軍事訓練を受ける[6]

1990年チェコスロバキアのブルノ技術大学で機械工学の学位を修得[7]。また彼は、イングランドマンチェスターのヴィクトリア大学の大学院で経営学を学んでいる[8]

アルマンド・ゲブーザ内閣入りする前、ニュシは国営のMozambique Ports and Railways(CFM)に就職[5]1995年、彼はCFM-Norte(CFMの北部を管轄する会社)の業務執行取締役に就任し[5]2007年の会社の取締役会に参加している。

1993年から2002年まで、ニュシはClube Ferroviario de Nampula(ナンプラをホームタウンとするモザンビークのサッカー最上位リーグのチーム)の会長を歴任。また彼はモザンビーク教育大学のナンプラキャンパスの講師[9]や、アフリカリーダーシップイニシアティブのフェロー、民族解放闘争の戦闘員の全国委員会(ポルトガル語: Comite Nacional dos Combatentes da Luta de Libertacao Nacional)のメンバーを務める[10]。またインド南アフリカスワジランドアメリカで更なる経営学の勉強もしている[9]
政治家として

ニュシは2008年3月27日に防衛大臣に就任[11]。彼の就任はマプトの武器庫で起きた爆発で100人以上が亡くなった事故からちょうど1年が経った頃だった。彼の前任者は事故の対応の遅れを指摘され、解任となっていた[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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