フィリベルト
Filiberto
サヴォイア=ジェノヴァ家家長
在位1963年 - 1990年
称号ピストイア公
出生 (1895-03-10) 1895年3月10日
イタリア王国、トリノ
死去 (1990-09-07) 1990年9月7日(95歳没)
スイス、ローザンヌ
配偶者リーディア・フォン・アーレンベルク
父親トンマーゾ・アルベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ
母親イザベラ・フォン・バイエルン
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フィリベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ(Filiberto di Savoia Genova, 1895年3月10日 - 1990年9月7日)は、イタリア王国の王族、陸軍軍人。サヴォイア=ジェノヴァ家の第4代当主。 第2代ジェノヴァ公トンマーゾとその妻のバイエルン王女イザベラの間の次男としてトリノに生まれ、フィリベルト・ロドヴィーコ・マッシミリアーノ・エマヌエーレ・マリーア(Filiberto Lodovico Massimiliano Emanuele Maria)と名付けられる。1904年9月22日にピストイア公(duca di Pistoia)の儀礼称号を授けられた。 1928年4月30日にトリノにおいて、ドイツ貴族のアーレンベルク公エンゲルベルト・マリアの娘リーディア(1905年 - 1977年)と結婚したが、子供を授かることはなかった。 イタリア陸軍に出仕して将軍となった。ベニート・ムッソリーニの支持者であり、1935年に起きた第2次エチオピア戦争には自発的に参加して、黒シャツ隊「3月23日」師団を指揮した。フィリベルトの師団はエチオピア北部のアンバ・アラダム
生涯
1963年に兄フェルディナンドが子供のないまま亡くなると、ジェノヴァ家の家督を引き継いだ。1990年にローザンヌにおいて95歳の高齢で死去。末弟のエウジェーニオが家督を相続した。 ウィキメディア・コモンズには、フィリベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ
外部リンク
表
話
カルロ・アルベルト1831-1849 / ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世1849-1878 / ウンベルト1世王1878-1900 / ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世1900-1946 / ウンベルト2世王1946-1983 / ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ1983-2024 / エマヌエーレ・フィリベルト2024-
分家・支流
サヴォイア=ジェノヴァ家
フェルディナンド1世1831-1855 / トンマーゾ1855-1931 / フェルディナンド2世1931-1963 / フィリベルト1963-1990 / エウジェーニオ1990-1996 / 断絶
サヴォイア=アオスタ家
アメデーオ1世1845-1890 / エマヌエーレ・フィリベルト1890-1931 / アメデーオ2世1931-1942 / アイモーネ1世1942-1948 / アメデーオ3世1948-2021 / アイモーネ2世2021-現在
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