フィリピン憲法(フィリピンけんぽう、英語:Constitution of the Philippines、フィリピン語:Saligang Batas ng PilipinasまたはKonstitusyon ng Pilipinas、スペイン語:Constitucion de la Republica de Filipinas)はフィリピン共和国の憲法または最高法である。最終草案は1986年10月12日に憲法制定委員会
(英語版)で完成し、1987年2月2日に全国規模の国民投票(英語版)で承認された。他の3つの憲法1935年のコモンウェルス憲法や1973年憲法、1986年の自由憲法は、歴史上国内で有効に機能している。
「フィリピン共和国」を作った最初期の憲法1899年マロロス憲法は、フィリピン全土で完全に施行されることはなく、採択後の米比戦争発生への大きな要素となったために国際的に承認される国家は作らなかった。
1987年憲法の背景詳細は「1986年の憲法制定委員会(英語版)」を参照
エドゥサ革命を通じて任命された大統領として初期の在職期に布告で統治しながら、コラソン・アキノ大統領は1935年憲法を復活するか1973年憲法を維持し改革するか新しい憲法を採択するかの3つの選択肢を認めた。一院制(バタサンパンバンサ(英語版))や首相職、大統領立法権により与えられた規定などのマルコス政権時代に採用された1973年憲法の規定の多くを廃止しながら新憲法の草案を決定し1986年3月25日に布告第3号を発した。しばしば「自由憲法」と呼ばれて[1]、この憲法は民主主義と人民の自由を保証する移行期の憲法として意図された。憲法制定委員会(英語版)が恒久的な憲法の草案作りをする一方で自由憲法は権力の整然とした意向を規定した。
憲法制定委員会は様々な背景からアキノにより任命された代議院の元議員数人や最高裁判所(英語版)元判事、ローマカトリック司教、マルコス政権に対する政治活動家など48人の委員から構成された。アキノは最高裁判所(英語版)元副判事セシリア・ムニョスパルマ(英語版)を委員会委員長に任命した。採択する政府の形態や死刑廃止、クラークとスービックの米軍基地の維持、憲法への経済政策の統合など数個の問題が特に議論された。委員である映画監督で政治活動家のリノ・ブロッカ(英語版)は、憲法の完成前に抗議して辞任し、他の代表二人が最終案に異議を唱えた。委員会は1986年10月12日に最終案を完成し、10月15日にアキノに提出した。憲法は1987年2月2日の全国規模の国民投票(英語版)により承認された。
憲法は行政、立法府、司法という政治上の3部門を規定した。行政は大統領と大統領が任命した閣僚に率いられる。他の2つの同格の部門と同じく行政は権力が制限される。戒厳令が宣言されたらフィリピンが「守られる」ことを保証するための規定である。大統領は依然として戒厳令を宣言できるが、60日以内に解止され、議会は拒否するか延長できる。
最高裁判所の任務は、戒厳令宣告が十分根拠のあるものか再検討するものである。立法権は元老院と代議院が含まれている。24人の元老がいて、代議院は地区代表から成り立っている。党の作る名簿方式で代表を選ぶ共同体の十分に代表されていない地域のための機会も作った。司法部門は最高裁判所と下級審を含んでいる。最高裁判所は条約や政府の布告について法律の合憲性に合致する事例か聴取する権限が保証されている。下級裁判所の機能を管理する任務もある。
憲法のために文民委員会、選挙に関する委員会、監査に関する委員会と名付けられた独立した3つの憲法制定委員会が作られた。この憲法制定委員会には異なる機能がある。憲法も政府の道徳的かつ適法な行為を推進し確実にする機能のあるオンブズマン事務所の創設に向けた道筋の基礎を築いた[2]。
1987年憲法を改正または変更する試み詳細は「フィリピンの憲法改革(英語版)」を参照
憲法を改正できる憲法制定議会(英語版)(Con-Ass)や憲法制定議会(英語版)(Con-Con)、国民発議権(英語版)の3つの可能な手法がある。3つの手法は全て全国的な国民投票で過半数による批准が必要である。コラソン・アキノ政権以後、後継の政権は、1987年憲法を改正したり変更する試みを数回行った。
最初の試みは、1995年であった。改憲草案は同時の国家安全保障評議会(英語版)長官ホセ・アルモンテ(英語版)が作成したが、異なる意見を持つ非政府組織によりメディアに暴露されたために完成することはなかった。改憲草案に国民の利益の保護についての潜在的な変更を見抜いていた。
1997年、有権者からの署名を集める方法により国民発議権を通じて憲法を変える試みに続いてペドロサ夫妻はPIRMAと呼ばれる団体を創設した。徹頭徹尾最高裁判所(英語版)に提訴し勝訴したミリアム・デフェンソル・サンティアゴ(英語版)元老院議員などの多くの著名人が提案に反対した。最高裁判所は国民発議権は通過させる授権的な法律が必要であると言って発議権は続いていないと判決した[3]。
大統領になってからジョセフ・エストラーダが憲法の経済や司法に関する規定について可能な変更のための研究委員会を創設した。明らかに発起人の個人的な利益を目的としている試みであると、様々な団体が反対したため、試みは目的を成就することはなかった。
エストラーダの退任後グロリア・アロヨ政権は、当時のホセ・デベネシア代議院議長が率いる憲法制定議会を通じた改憲を支持した。しかし任期延長の可能性などのアロヨ政権を巡る政治論争の為に[要出典]提案は最高裁判所から拒否された[4]。
次の試みは、ベニグノ・アキノ3世大統領の政権下で当時のフェリシアノ・ベルモンテ・ジュニア(英語版)代議院議長から起きた。ベルモンテは自由化を目指す経済規定に焦点を当てた憲法改正を導入することを試みた。努力は成功しなかった[5]。
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は国内で連邦制を施行する可能性を模索した[6]。2016年大統領選挙後の大統領就任に続いて1987年憲法を見直す諮問委員会を創設する2016年12月7日の行政命令第10号(英語版)に署名した。
構成と内容.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースにフィリピン憲法 (1987年)の原文があります。
前文と、条ごとに番号付けがリセットされる節で構成される互いに独立した18か条からなる。[7]。 前文は憲法や主権の源、国民に関する導入部である。神への訴えなどの過去の憲法の形式を踏襲している。前文は言う[8]。 「我ら主権の存するフィリピン国民は全能の神のご加護を懇願しながら正義と人間味のある社会を建設し、理想と抱負を具体化する政府を作るために共通の美徳を昇華し、国家遺産を保存し発展させ、法の支配及び真の政治形態、正義、自由、愛、平等並びに平和の下で独立と民主主義の恩恵を我ら自身及び子孫に残し、この憲法を定め公布する。」 領土はフィリピンが領海、海底、底土、閉鎖的な岩礁及びその他の海底領域などの陸上、河川及び空中の領域から成り立つ主権及び管轄を有するその中に含む全ての島と海域並びにその他全ての領域と共にフィリピン群島を構成する。フィリピン群島の島々に繋がる周辺及び間の海域は、幅及び範囲を問わず、フィリピンの内水を形成する。 第2条はフィリピンの基本的な社会的信条や政治的信条特に憲法の施行を明確にし、政治の目的を説明している。必要な規定は、下記の通りである。 第3条は国家権力の侵害に対する特定の保護を列挙し、殆どはアメリカ合衆国憲法の規定に近い。必要な規定は、下記の通りである。
前文
第1条 領土
第2条 根本原則と国家の信条の宣言
フィリピンは民主共和国である。
国政の形態としての戦争の放棄
軍に対する文民の優位
教会と国家の分離(不可侵)
自立した外交の追及
核兵器の廃止
国家の基本単位としての家族
国家建設における若者と女性の役割
地方政府の自治
公共サービスに対する平等な機会と政治的な権力継承の禁止
第3条 権利法案
デュー・プロセス・オブ・ローと法の下の平等
司法の発行する令状のない捜索と押収
私生活権
表現の自由、報道の自由、集会の自由、請願権に対する権利
信教の自由
住居権(英語版)と居住移転の自由
公共の関心事に関する情報権
結社の自由
法廷に自由に出入りできる権利
黙秘権と適任の弁護士を持つ権利
保釈権と極端な保釈条件に対する権利
ヘイビアス・コーパス権
迅速な裁判
自分で有罪とすることに対する権利
思想・良心の自由と向上心