フィリップ・K・ディック
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フィリップ・K・ディック
Philip K. Dick

ペンネームRichard Philips
Jack Dowland
誕生フィリップ・キンドレド・ディック(Philip Kindred Dick)
1928年12月16日
アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
死没1982年3月2日(1982-03-02)(53歳)
アメリカ合衆国
 カリフォルニア州サンタアナ
職業SF作家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1952年 - 1982年
代表作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『高い城の男』など
主な受賞歴ヒューゴー賞ネビュラ賞
デビュー作『ウーブ身重く横たわる』
影響を受けたもの

ハイデッガーフローベールA・E・ヴァン・ヴォークトジェイムズ・ジョイス[1]バルザックカントマルセル・プルーストカール・グスタフ・ユングサミュエル・ベケットドストエフスキージョン・スラデックホルヘ・ルイス・ボルヘスハーバート・ジョージ・ウェルズ

影響を与えたもの

テリー・ギリアム[2]ジャン・ボードリヤールスラヴォイ・ジジェクデヴィッド・クローネンバーグリチャード・リンクレイターウォシャウスキー兄弟フレドリック・ジェイムソンロベルト・ボラーニョチャーリー・カウフマン[3]クリストファー・ノーラン

署名
公式サイトPhilip K. Dick Official Site
ウィキポータル 文学
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フィリップ・キンドレド・ディック(Philip Kindred Dick, 1928年12月16日 - 1982年3月2日[4])は、アメリカSF作家
概要

ディックの小説は社会学的・政治的・形而上学的テーマを探究し、独占企業や独裁的政府や変性意識状態がよく登場する。後期の作品では、形而上学と神学への個人的興味を反映したテーマに集中している。しばしば個人的体験を作品に取り入れ、薬物乱用偏執病統合失調症神秘体験が『暗闇のスキャナー』や『ヴァリス』といった作品に反映されている[5]

1963年、歴史改変SF高い城の男』でヒューゴー賞 長編小説部門を受賞[6]。1975年、未知のパラレルワールドで目覚めた有名人を描いた『流れよ我が涙、と警官は言った』でジョン・W・キャンベル記念賞を受賞した[7]。1978年、『暗闇のスキャナー』で英国SF協会賞を受賞。ディックは、それらの作品について、「私は、私が愛する人々を、現実の世界ではなく、私の心が紡いだ虚構の世界に置いて描きたい。なぜなら、現実世界は、私の基準を満たしていないからだ。私は、作品の中で、宇宙を疑いさえする。私は、それが本物かどうかを強く疑い、我々全てが本物かどうかを強く疑う」と述べている[8]。ディックは、自らを "fictionalizing philosopher"(小説化する哲学者)と称していた。なお、philosopherは、哲学者以外に、冷静な人、賢人、思慮深い人などを指す言葉である。

ディックは、44編の長編と[9]、約121編の短編小説を書いた。そして、そのほとんどがSF雑誌に掲載された[10]。ディックは、作家になってからは、ほぼ常に貧乏だったが[11]、彼のいくつもの作品が映画化された。生前の『ブレードランナー』、死後の『トータル・リコール』、『スキャナー・ダークリー』、『マイノリティ・リポート』である。『バルジョーでいこう!』のような一般映画も、ディック作品を原作として生まれている。

2005年、タイム誌が1923年以降の英米の小説ベスト100を掲載し、そこにはディックの『ユービック』も含まれていた[12]。2007年、ディックは、SF作家として初めて The Library of America series に収録された[13][14][15][16]

ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムはアメリカSFを全面批判したが、ディックだけは称賛し「ペテン師に囲まれた幻視者」と彼を評している[17]。ただし、後の1976年に「アメリカSF批判」の件でレムがアメリカSF作家協会から追放された「レム事件」が起きた際、ディックは「ポーランドで自分の作品が騙されて出版された」として、彼を猛烈に非難した[18]
経歴
前半生

ディックの父は、アメリカ合衆国農務省の役人だった[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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