フィリップ・ラーム
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フィリップ・ラーム

バイエルンで練習を行うラーム(2015年)
名前
愛称ワイヤレス・ラーム
魔法の小人(The Magic Dwarf)
ラテン文字Philipp LAHM
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1983-11-11) 1983年11月11日(40歳)
出身地 西ドイツミュンヘン
身長170cm[1]
体重66kg[1]
選手情報
ポジションDF (SB) / MF
利き足右足
ユース
1989-1995[1] FTゲルン・ミュンヘン[1]
1995-2001 バイエルン・ミュンヘン
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2001-2003 バイエルン・ミュンヘンII 63 (3)
2002-2017 バイエルン・ミュンヘン 332 (12)
2003-2005→ シュトゥットガルト (Loan) 53 (2)
通算448 (17)
代表歴
1999 ドイツ U-171 (0)
2000 ドイツ U-181 (0)
2001?2002 ドイツ U-199 (1)
2002?2003 ドイツ U-206 (0)
2003 ドイツ U-213 (0)
2004?2014 ドイツ113 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フィリップ・ラーム(Philipp Lahm, ドイツ語発音: [?f?l?p ?la?m], 1983年11月11日 - )は、西ドイツミュンヘン出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーミッドフィールダー。左右のサイドバックと守備的MFをこなす。

2010 FIFAワールドカップ2014 FIFAワールドカップではドイツ代表キャプテンを務めていた。
クラブ経歴
初期の経歴

地元ミュンヘンにあるGernというジュニアチームでプレーしていた時にスカウトを受け[2]、11歳でバイエルン・ミュンヘンの下部組織に入団した[3]。少年時代から将来が期待されており、下部組織で彼を指導したHermann Hummels(マッツ・フンメルスの父親)は「もしラームがプロになれなかったら、誰もプロにはなれないだろう」と語っている[4]。A-juniorの年代の全国選手権では2度の優勝を経験し、2度目はキャプテンとしてチームをまとめた[2]。17歳だった2001年にはアマチュアのセカンドチームに昇格し、当時の監督だったHermann Gerlandは彼が指導した中で最高の才能を持った選手であるとみなし[5]、2002-03シーズンにはラームをキャプテンに指名した。ジュニアチームやセカンドチームでは主に守備的ミッドフィールダー、右サイドハーフ、右サイドバックなどでプレーしている[6]。2002-03シーズン途中にUEFAチャンピオンズリーグ出場(RCランス戦)を果たしているが、当時のトップチームの右サイドバックにはフランス代表ウィリー・サニョルがおり、左サイドバックにはやはりフランス代表のビセンテ・リザラズがいた。さらに、中盤にも実力者が揃っていたため、2003-04シーズンと2004-05シーズンはVfBシュトゥットガルトにレンタル移籍した。
VfBシュトゥットガルト

2003-04シーズン開幕戦のハンザ・ロストック戦の76分にシルビオ・マイスナーとの交代で途中出場し、ブンデスリーガ(1部)デビューを果たした。当初は右サイドバックのアンドレアス・ヒンケルのバックアップと見られていたが、フェリックス・マガト監督はラームを左サイドバックで試し、ドイツ代表のハイコ・ゲルバーからポジションを奪った[7]。4節に初めて左サイドバックとして出場し、6節のボルシア・ドルトムント戦で初めてフル出場し、その後はレギュラーとしての地位を確立した[8]。2003年9月29日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦で同大会初スタメンとなった。2003-04シーズンはリーグ戦31試合・UEFAチャンピオンズリーグ7試合に出場し、ドイツ最優秀選手投票で2位にランクインした。

UEFA EURO 2004に参加したために2004年夏のプレシーズンは短くなり、マティアス・ザマー新監督の戦術やシステムに適応するのに時間を要した。しかし、ウィンターブレーク前にリーグ戦16試合に出場し、そのうちの14試合はフル出場であり、それに加えてUEFAカップには6試合に出場した[9]。2005年1月には右足を疲労骨折し、4ヶ月の間は試合に出場できなかったが、4月9日のシャルケ04戦で復帰した。そのわずか5週間後には同じ右足の十字靱帯断裂の重傷を負い、一足早くシーズンを終えた[2]
バイエルン・ミュンヘンバイエルンでプレーするラーム

2005年7月にバイエルン・ミュンヘンに復帰したが[3]、その後の数ヶ月はリハビリに費やした。11月下旬にアマチュアチームの試合に出場して負傷から復帰し、同月のアルミニア・ビーレフェルト戦でトップチームにも復帰した[10]。2005-06シーズンはリーグ戦20試合・UEFAチャンピオンズリーグ3試合に出場し、リザラスとポジション争いを繰り広げた。2006-07シーズンはリーグ戦全34試合・UEFAチャンピオンズリーグ9試合に出場した。左サイドバックとしてプレーできたのが彼しかおらず、最悪のシーズンを過ごしたバイエルンで堅実なプレーを見せたため、途中出場に終わったのはわずか2試合だった。

2007年夏にドイツ代表左サイドバックのマルセル・ヤンセンが加入したため、2007-08シーズンはラームは再び右サイドバックに戻ると、前シーズンに右サイドバックのレギュラーだったサニョルに取って代わった。シーズン終盤にはヤンセンが負傷したため、再び左サイドバックに移ったが、2008年中も本職の右サイドバックでのプレー願望を隠さなかった。このシーズン中には、シーズン終了後にFCバルセロナなどに移籍するのではないかという噂が駆け巡り、実際に契約寸前まで至ったと考えられている[11]


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