フィリップ・ティス(Philippe Thys, 1890年10月8日 - 1971年1月16日)は、ベルギー・ブリュッセル出身の自転車競技選手。ツール・ド・フランス(以下、ツール)史上初の3回目の総合優勝を果たした。 1910年にベルギー国内選手権・シクロクロスを優勝。1913年のツールでは、第9ステージでトップに立ち、最終的には2位のギュスタヴ・ガリグーに8分37秒の差をつけた。 翌1914年のツールでは、第14ステージにおいて規則違反のホイールを使用していたことから、30分のペナルティが課せられ、しかも終盤の第10、12ステージを制した総合2位のアンリ・ペリシエとの差が一気に1分50秒差にまで縮まった。しかし、最終15ステージでは、区間優勝のペリシエと同タイムでゴールしたため1分50秒差を堅持し、同大会史上2人目の連覇を達成した。しかし同年に第一次世界大戦が勃発したため、ツールは翌1915年より中止を余儀なくされることになった。 戦うことなく史上初のツール3連覇の夢を絶たれたティスはその後、一旦は現役を引退した。しかし当時所属していたプジョーの監督・アルフォンス・ボジェから強い復帰要請を受け、第一次世界大戦中である1917年に現役に復帰。その年にジロ・ディ・ロンバルディアとパリ?ツールを制覇。翌1818年にはパリ?ツールを連覇した。 そして1919年よりツールは再開され、ティスも参加したが、第1ステージにて棄権。しかし1920年のツールでは第2ステージよりマイヨ・ジョーヌを手にし、最終的には総合2位のエクトール・ウースガン
経歴
関連項目
ルイゾン・ボベ
外部リンク
⇒フィリップ・ティス - サイクリングアーカイヴス(英語)
表
話
編
歴
ツール・ド・フランス総合優勝者
1903 モリス・ガラン
1904 アンリ・コルネ
1905 ルイ・トゥルスリエ
1906 ルネ・ポティエ
1907 ルシアン・プティブルトン
1908 ルシアン・プティブルトン
1909 フランソワ・ファベール
1910 オクタヴ・ラピーズ
1911 ギュスタヴ・ガリグー
1912 オディル・ドフレイエ
1913 フィリップ・ティス
1914 フィリップ・ティス
1915 第一次世界大戦
1916 第一次世界大戦
1917 第一次世界大戦
1918 第一次世界大戦
1919 フィルマン・ランボー
1920 フィリップ・ティス
1921 レオン・シウール
1922 フィルマン・ランボー
1923 アンリ・ペリシエ
1924 オッタビオ・ボテッキア
1925 オッタビオ・ボテッキア
1926 ルシアン・ビュイス
1927 ニコラ・フランツ
1928 ニコラ・フランツ
1929 モリス・デワール
1930 アンドレ・ルデュック
1931 アントナン・マーニュ
1932 アンドレ・ルデュック