フィリップ・アダムス
[Wikipedia|▼Menu]

フィリップ・アダムス
基本情報
フルネームPhilippe Adams
国籍
ベルギー
出身地ベルギー, ムスクロン
生年月日 (1969-11-19) 1969年11月19日(54歳)
F1での経歴
活動時期1994年
所属チームロータス
出走回数2
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数0
通算獲得ポイント0
ポールポジション0
ファステストラップ0
初戦1994年ベルギーグランプリ
最終戦1994年ポルトガルグランプリ
テンプレートを表示

フィリップ・アダムス (Philippe Adams, 1969年11月19日 - ) は、ベルギームスクロン出身の元レーシングドライバー[1]
経歴
初期

1981年、アダムスは12歳でレーシングカートでモータースポーツキャリアを開始。1984年にカーレースに参加した[2]。日本でのレース経験もあり、1991年の全日本F3選手権ラルト無限・MF204でフルエントリーし最高位2位を記録している。1989年からF1への登竜門と言われるイギリス・フォーミュラ3選手権にフル参戦し第14戦でF3初優勝を記録。イギリスF3での3年目となった1992年にシリーズランキング2位を獲得[1]。F3での好成績により1993年からイギリス・フォーミュラ2選手権に参戦、タイトルを獲得した[1]
F1

1994年、アダムスと彼の支援者は、資金難に陥っていたF1チーム・ロータスと交渉し、ロータスに50万ドルを支払うことで、ロータス・109に乗り2つのグランプリに参戦する権利を得た[1]。この資金の一部は、アダムスが勝利を挙げていたスパ・フランコルシャンで行われたF1前座レース「ベルギー・プロカーレース」の保険契約から拠出された。

アダムスは初のF1となる母国・ベルギーGPでは予選日の金曜・土曜2日とも雨になる不運もあり、予選タイムで同じマシンに乗るジョニー・ハーバートのタイムから6秒離されてしまったが、予選26位でギリギリ決勝進出を果たすことが出来た。決勝レースでは16周目にスピンを喫しリタイアとなった。2レース目となるポルトガルGPの予選ではハーバートとのタイム差は1.8秒差まで縮まり、予選25位で通過。決勝も完走者の中で最下位であったが16位で完走した[1]。持ち込んだ資金は2戦分だったため、このレースを最後にレギュラードライバーのアレッサンドロ・ザナルディがロータスに復帰し[3]アダムスのF1参戦は終了した。
F1後

その後アダムスはイギリス国内シリーズへの参戦を選択し[1]、主にプロダクションカーおよびスポーツカーレースで活動した。
記録
フォーミュラ
イギリス・フォーミュラ3選手権

年チームエンジンクラス1234567891011121314151617順位ポイント
1989年ボウマン・レーシングVWATHR
10DON
CSIL
RetBRH
5SIL
4BRH
RetTHR
5SIL
2DON
RetSIL
10SNE
RetOUL
14SIL
17BRH
1DON
9SIL
RetTHR
66位23
1990年ADON
11SIL
RetTHR
6BRH
10SIL
4BRH
20THR
RetSIL
9DON
9SIL
4SNE
4OUL
5SIL
6BRH
2DON
2THR
RetSIL
116位25
1992年無限ADON
4SIL
11THR
5BRH
4THR
RetBRH
1SIL
2SIL
1DON
6SNE
2SIL
RetPEM
3SIL
1DON
RetTHR
RetSIL


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef