フィリッパ・オブ・エノー
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フィリッパ・オブ・エノー
Philippa of Hainault
イングランド王妃

在位1328年1月24日 - 1369年8月15日
戴冠式1330年3月4日

出生1314年6月24日
神聖ローマ帝国
エノー伯領、ヴァランシエンヌ
死去 (1369-08-15) 1369年8月15日(55歳没)
イングランド王国ウィンザー城
埋葬1370年1月9日
イングランド王国ウェストミンスター寺院
配偶者イングランドエドワード3世
子女一覧参照
家名アヴェーヌ家
父親エノー伯ギヨーム1世
母親ジャンヌ・ド・ヴァロワ
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紋章

フィリッパ・オブ・エノー(Philippa of Hainault, KG, 1314年6月24日 - 1369年8月15日)は、イングランドエドワード3世の王妃。エノー伯ギヨーム1世ホラント伯、ゼーラント伯としてはウィレム3世)とヴァロワ伯シャルルの娘(フランスフィリップ6世の妹)ジャンヌの娘で、父方からイングランド王スティーブンの血を引いている[1]ガーター騎士団初の女性受勲者としても知られている[2]

マルガレーテ神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の皇后。兄はエノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯ギヨーム2世。フランス王ジャン2世は母方の従兄に当たる。
生涯

フィリッパは1325年、父の屋敷にエドワード王太子(後のエドワード3世)が母イザベラと共に滞在していた時に初対面の王太子と互いに惹かれあったという。夫で王太子の父エドワード2世と不仲で、大陸へ移り助力を求めていたイザベラも2人の結びつきを利用し、フィリッパと王太子の結婚と引き換えにエノー伯から軍資金を貰い、1327年クーデターを起こしエドワード2世を廃位、王太子を次の国王エドワード3世に即位させた。翌1328年にフィリッパとエドワード3世は約束通りヨーク大聖堂で成婚。2人は又従兄妹に当たるため、教皇の特免状を受けた[3][4][5]

エドワード3世との結婚生活は夫と共に戦場を駆け巡り、イングランド・フランス・スコットランドを転戦、夫が不在のイングランドで摂政を務め、技術導入を図りイングランドの発展に貢献した。1335年にフランドルの織物技術者をイングランドに招きノリッジで織物組合の結成を働きかけ、毛織物技術の導入を促した。また、1337年から始まった百年戦争では王と共にたびたび戦場に同行、1338年から1340年にかけてフランドルに滞在している[3][5][6]

1346年4月に夫が再度フランスへ遠征した時、イングランドの摂政を任された。スコットランド王デイヴィッド2世が南下すると迎撃に向かい、10月のネヴィルズ・クロスの戦いにおいては、全軍を前に激励の演説をしたという。戦いはデイヴィッド2世を捕虜としたイングランド軍の勝利となり、エドワード3世の方も8月のクレシーの戦い、9月から1347年8月にかけて包囲したカレーを落とし(カレー包囲戦)、イングランド軍は連戦連勝で勢いを増した。


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