フィラデルフィア管弦楽団
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フィラデルフィア管弦楽団
The Philadelphia Orchestra
シャルル・デュトワ指揮・フィラデルフィア管弦楽団(2012年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
ジャンルクラシック音楽
活動期間1900年 -
公式サイトThe Philadelphia Orchestra

メンバー音楽監督
ヤニック・ネゼ=セガン
首席客演指揮者
ナタリー・シュトゥッツマン
準指揮者
オースティン・チャヌ
準指揮者
トリスタン・レイズ・シャーマン
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フィラデルフィア管弦楽団(フィラデルフィアかんげんがくだん、英語: The Philadelphia Orchestra)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアを本拠地とするオーケストラである。
概要本拠地のキメル・パフォーミング・アーツ・センター

1900年、ペンシルベニア州フィラデルフィアに創立された、世界有数のオーケストラである。「アメリカ5大オーケストラ」("Big Five)[1]の一つである。

創立以来、1857年創設の米国最古のオペラハウス「アカデミー・オブ・ミュージック[2]を本拠地としていたが、2001年からは本楽団のために建てられた、 「キメル・パフォーミング・アーツ・センター」[3]の内部[4]のシンフォニー・ホール「ヴェライゾン・ホール」[5][6]で定期演奏している。なお、現在でも毎年「アカデミー・オブ・ミュージック」の創設記念日に、寄付を目的とした演奏会を同オペラハウスにて開催している[7]

冬季定期演奏シーズンは10月から翌年5月の間、30週間、本拠地ヴェライゾン・ホールで同じプログラムを週4回(火、木、金、土曜日)演奏し、またカーネギー・ホールに毎年レギュラーとして5回ほど公演している。夏季はフィラデルフィア市内フェアモントパーク[8]のマーン・パフォーミング・アーツ・センター[9]ニューヨーク州のサラトガ音楽祭[10]コロラド州のベイルバレー音楽祭[11]で演奏を行っている。夏の音楽祭では、フィラデルフィア・ロビンフッド・デル管弦楽団という名称で演奏することもあり、この名による録音も多く残されている。また、毎年遠征公演を行っており、2010年4月にはマルタ・アルゲリッチが同行して来日公演を行っている。
歴史1916年、マーラー交響曲第8番のアメリカ初演。指揮:ストコフスキーオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団(1970年)

1900年に、初代指揮者を務めたフリッツ・シェールによって創設される。1907年カール・ポーリヒが後任となるが、1912年に首席指揮者となったレオポルド・ストコフスキーによって、オーケストラとしての名声が築かれた。1940年には、ストコフスキーの指揮でディズニー映画『ファンタジア』の録音を行った。

1936年から1938年までユージン・オーマンディが首席指揮者の座をストコフスキーと分かち合い、それ以降は単独で音楽監督となった。オーマンディは42年にわたって在任し、この間に数多くの名演名録音を制作した[12]。オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団によるシベリウス作品の録音は、作曲者自身から賛嘆されお墨付きを得たことでも有名[要出典]。

オーマンディの後継の音楽監督はリッカルド・ムーティ(1981年 - 1992年)が、その後任はヴォルフガング・サヴァリッシュ(1993年 - 2002年)が務めた[13]。その後、クリストフ・エッシェンバッハが音楽監督に就任した。エッシェンバッハが退任した2008年にはシャルル・デュトワが首席指揮者兼芸術顧問に就任した。2010年6月にはヤニック・ネゼ=セガン2012年のシーズンから音楽監督に就任した。

客演指揮者のなかでは、ジョルジュ・プレートルサイモン・ラトルラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスとの相性が特に良いといわれる。1990年後半から事実上ラトルが指揮する唯一の米国のオーケストラとなり、ラトルは毎年フィラデルフィアを訪れている。

コンサートマスターとしては28年間(1966年 - 1994年)在任したノーマン・キャロル[14][15]が最も長く、1999年以降から現在のコンサートマスター、デービッド・キムが務めている。
特徴旧本拠地のアカデミー・オブ・ミュージック

創立当初からの本拠地だったアカデミー・オブ・ミュージックが古いオペラハウスであり、その音響が不良であったために、本楽団の奏者はアンサンブルで音に独特な広がりを持たせるよう工夫をし、それが分厚く柔らかくて優しくて弾ける、華麗なるフィラデルフィア・サウンド[16]を発達させた。特に、伸び伸びと広がる豊麗なシルクのような弦楽の音色は本楽団の大きな特長であり、バーンスタインニューヨーク・フィルショルティシカゴ響セルクリーヴランド管など、アメリカのオーケストラ全盛時代に中にあっても一線を画した、豪華絢爛なサウンドを持つオーケストラとして独特の存在であった。

ラフマニノフはフィラデルフィア管弦楽団の演奏会に初めて接した後、当楽団を「世界最高のオーケストラ」と絶賛し、その後の管弦楽作品の作曲においては「フィラデルフィア・サウンドを思い浮かべながら作曲した」と言及し、最後の管弦楽作品となった『交響的舞曲』を当楽団に捧げている。


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