フィデル・ラモス
Fidel Ramos
アメリカのウィリアム・コーエン国防長官(右)と(1998年4月8日)
フィリピン共和国
第12代大統領
任期1992年6月30日 – 1998年6月30日
副大統領ジョゼフ・エストラーダ
フィリピン共和国
第17代国防大臣
任期1988年1月22日 – 1991年7月18日
大統領コラソン・アキノ
出生 (1928-03-18) 1928年3月18日
アメリカ領フィリピン
フィデル・バルデス・ラモス(英語:Fidel Valdez Ramos、通称:FVR、1928年3月18日 - 2022年7月31日)は、フィリピンの政治家、軍人。第12代フィリピン共和国大統領。国防大臣などを務めた。フィリピンの歴史上唯一のプロテスタントの大統領である。
経歴
初期2011年8月3日、左から日本経済新聞社会長杉田亮毅、ラモス、元内閣総理大臣福田康夫、日本駐箚フィリピン特命全権大使マニュエル・ロペスと
1928年3月18日にパンガシナン州リンガエンに誕生した。父のナルシソ・ラモスは下院議員、外務大臣を務めていた。1946年にアメリカのウェストポイント陸軍士官学校に国費留学し、1950年に士官学校を卒業した後は、同年にイリノイ州立大学で工学の学士号を取得した。 1952年に朝鮮戦争に従軍し、1966年から1968年まで在ベトナム・フィリピン軍民事担当参謀長であった。1972年に国家警察軍司令官として、フェルディナンド・マルコス大統領が布告した非常事態体制を保障した。 1986年2月に国軍参謀次長であった際、フアン・ポンセ・エンリレ 1992年6月に大統領に就任した。在任中は国営企業の民営化・外資の誘致に注力し、国内の需要に必要な発電所を建設した。ラモスの経済政策は国民の支持を得る事となり、1995年5月の議会選挙では多数派を占める事が出来た。2期目の出馬を否定し、1998年6月をもって退任した。 2022年7月31日の午後、2019新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による合併症のため、マニラ近郊、マカティの病院で死去した[1][2]。94歳没。 1954年10月にアメリタ・マルティネスと結婚し、2人の間に5人の子女が誕生した。
軍人
政界
家族
著作
フィデル・ラモス、イアン・ブレマー、ジョセフ・ナイほか共著『新アジア地政学』(福戸雅宏
脚注^ “Former president Fidel V. Ramos succumbs to Covid-19”
^ “フィデル・ラモス氏死去、94歳 フィリピン元大統領、民主化立役者”. 時事ドットコム (2022年7月31日). 2022年8月7日閲覧。
外部リンク
⇒韓国訪問(1992年)
先代
コラソン・アキノ フィリピン共和国大統領
第12代:1992年6月30日 ? 1998年6月30日次代
ジョセフ・エストラーダ
先代
ラファエル・イレート フィリピン共和国国防大臣
第17代:1988年1月22日 ? 1991年7月18日次代
レナート・デヴィラ
表
話
編
歴
フィリピンの大統領
ビアクナバト共和国
エミリオ・アギナルド 1897
第一共和国
エミリオ・アギナルド 1899-1901
フィリピン自治領
マニュエル・ケソン 1935-1944
第二共和国
ホセ・ラウレル 1943-1945
フィリピン自治領
セルヒオ・オスメニャ 1944-1946
マニュエル・ロハス 1946
フィリピン共和国
(第三共和国)
マニュエル・ロハス 1946-1948
エルピディオ・キリノ 1948-1953
ラモン・マグサイサイ 1953-1957
カルロス・ガルシア 1957-1961
ディオスダド・マカパガル 1961-1965
フェルディナンド・マルコス 1965-1986
コラソン・アキノ 1986-1992
フィデル・ラモス 1992-1998
ジョセフ・エストラーダ 1998-2001
グロリア・アロヨ 2001-2010
ベニグノ・アキノ 2010-2016
ロドリゴ・ドゥテルテ 2016-2022
ボンボン・マルコス 2022-現職
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