フィデリオ
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『フィデリオ』(Fidelio)作品72は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが完成させた唯一のオペラである。原作はジャン・ニコラス・ブイイにより、ドイツ語台本はヨーゼフ・ゾンライトナーおよびゲオルク・フリードリヒ・トライチュケによる。主人公レオノーレが「フィデリオ」という名で男性に変装して監獄に潜入し、政治犯として拘禁されている夫フロレスタンを救出する物語である。

ベートーヴェンが構想したオペラには、他に『ヴェスタの火』(Vestas Feuer)H115(1803年)があるが、結局1幕のみで未完となった。

第2幕、最後のアレグロの直前の感動的なソステヌート・アッサイには、『皇帝ヨーゼフ2世葬送カンタータ』(WoO.87、1790年)の第4曲のモチーフが使われている。
概要フィデリオ(レオノーレ)役のイーダ・ヒードラー(ドイツ語版)

この作品は、ベートーヴェンの作品群の中でも特に難産に見舞われた作品のひとつであり、成功を収める版が完成するまでに何度も書き直しがなされている。

このオペラはベートーヴェン中期の代表作に挙げられる。ブイイの原作の英雄主義的な性格や、当時のヨーロッパの知識人層に浸透し始めていた自由主義思想へのベートーヴェン自身の強い共感を背景として、英雄的な中期の作風が存分に反映されている。

ベートーヴェンの声楽曲によくあることであるが、このオペラも歌手にとっては必ずしも歌いやすい音楽ではない。特に、レオノーレとフロレスタンのパートを歌うには高度な技術を要し、そうでなければ要求された緊張感を表現することは到底不可能である。このため、これらの配役を見事に演じた歌手は賛美の的となる。

囚人達の合唱、政治犯達の自由を謳う合唱、フロレスタンをレオノーレが助けにくる場面、そして救出が成功する場面などは、特筆に価する。最後は、ソリストや合唱が代わる代わるレオノーレの勝利を讃えて、フィナーレを迎える。多くの楽曲分野で後世の指標となる業績を残したベートーヴェンとしては完全な成功作とは言えない(ドイツオペラの最初の成果としても『魔笛』や『魔弾の射手』が挙げられることの方が多い)との批判もあるが、一応代表作の一つとして今なお上演回数も多い。これによってベートーヴェンはモーツァルトとともに、主要音楽分野のほとんどに代表作を残した稀有の存在となった。ドイツ圏ではバッハ以来、オペラをまったく残していない(または成功作がない)作曲家が多いだけに、貴重な作である。
作曲の経緯
『レオノーレ』第1稿

ブイイの原作は、役人だった頃トゥーレーヌで起こった事件を元に書かれた。これを基に作曲されたオペラの先行作品としては、1798年にピエール・ガヴォーによる『レオノール』、次いで1804年ドレスデンで初演されたフェルディナンド・パエールによる『レオノーラ』がある。これと前後して、ウィーンの主要歌劇場を手中に収めたブラウン男爵が腹心のゾンライトナーに原作をドイツ語に翻訳させ、ゾンライトナーを通じてベートーヴェンに作曲を依頼した。何度も書き直すなどの苦労もあったが、だいたい1年ぐらいで完成され、初演は1805年10月15日に内定した。

ところが、ナポレオン軍がウィーンに迫った(11月13日に占領)影響で、初演日は11月20日に繰り下げられた。ベートーヴェンは『レオノーレ』というタイトルでの上演を主張したが、前記2作との混同を避けるため、結局劇場側の推す『フィデリオ』のタイトルに決まり、アン・デア・ウィーン劇場でベートーヴェン自身の指揮により3日間上演された。しかし、何人かのベートーヴェンの友人と新聞記者を除けば、観客の大半がフランス軍兵士であり、ドイツ語を理解できる兵士がいなかったこともあり大失敗に終わっている。
『レオノーレ』第2稿

この初演ののち、ベートーヴェンは友人の勧めに従ってこのオペラを改訂することを決める。シュテファン・フォン・ブロイニングの協力を得て、『レオノーレ』を2幕のオペラへと改作し、さらに序曲も新しいものへ差し替えた。改訂は1805年暮れ頃から年明けにかけて行われ、1806年3月29日リッター・イグナーツ・ザイフリートの指揮により初演、4月10日に再演され、いずれも成功を収めた。しかし、ベートーヴェンとブラウン男爵との間の金銭トラブルから、それ以上は公演されなかった。このときの公演でも、ベートーヴェンのタイトル案『レオノーレ』は受け入れられなかった。
『フィデリオ』

第2稿による初演のあと、1810年に『フィデリオ』の楽譜が出版され、しばらく上演されることもなかったが、1810年頃からベートーヴェンの作品(例えば『ウェリントンの勝利』)が人気を博すようになり、ウィーンの劇場主や人気歌手がその人気に便乗しようと、ベートーヴェンに『フィデリオ』上演を盛んに打診するようになった。その中で、主要歌劇場ケルントナートーア劇場(ケルントネル門劇場)の運営を任されていたトライチュケの申し入れをベートーヴェンが台本の改訂を条件として受け入れ、同時に音楽の改訂も行われた。改訂は1814年3月から5月の2か月間に行われ、その際、タイトルも『レオノーレ』に強くこだわることをやめて『フィデリオ』を受け入れることとなった。

初演は1814年5月23日に行われた。当時ベートーヴェンは難聴が急速に進んでいたが、ミヒャエル・ウムラウフの手助けを借りながら自身で指揮をした(1823年に行われたウィーン再演や、その翌年の『第九』の初演もこのコンビで行われた)。当時17歳だったシューベルトも教科書を売り払って入場料を捻出し、これを聴きに訪れている。ちなみに、このときのピツァロ役はヨハン・ミヒャエル・フォーグルで、彼は後に「シューベルティアーデ」を通じてシューベルトと深い友情を結ぶことになる。序曲は、初演当時は作曲が間に合わず、『アテネの廃墟』序曲で代用されたが、5月26日の上演から『フィデリオ』序曲を付して上演され、以後ウィーン会議のために来訪した諸侯のための上演を含め、1814年中に何度も上演された。

最終的に、この版は大成功を収めて、以後『フィデリオ』は重要なオペラのひとつとして知られるに至っている。このオペラは3つの版ともに作品72として出版された。
上演史
欧米

ウィーンでの第3稿初演後、最も早く『フィデリオ』のウィーンの外での初演が行われたのは1814年11月21日プラハで、指揮はカール・マリア・フォン・ウェーバーであった。ウェーバーは1823年4月29日のドレスデン初演も指揮するなど、『フィデリオ』の普及に陰ながら尽力した(ベートーヴェンはウェーバーに感謝の手紙を書いている)。1815年にはベルリン宮廷歌劇場でカール・グラーフ・フォン・ブリュール(モーツァルトの『魔笛』の上演などドイツ語オペラの普及に尽力)の指揮によりベルリン初演が行われ、1816年にはブダペストヴァイマルで、1818年にはリガ1819年にはサンクトペテルブルクで初演が行われた。

1820年代以降になるとパリなどでも上演されるようになり、さらに海を渡って1832年5月18日にはロンドンのヘイマーケット劇場で、1839年9月9日にはニューヨークでも初演された。19世紀が終わるまでには欧米の主要歌劇場で上演されるようになった一方で、スカラ座では1927年4月7日になって初めて上演されたが(指揮はアルトゥーロ・トスカニーニ)、不成功に終わった。

アメリカでは最初は評判が芳しくなかったが、アントン・ザイドル1884年メトロポリタン歌劇場において初めてドイツ語で上演(それまでは英語での上演。第二次世界大戦前後の頃も英語で上演)して以降は人気レパートリーとなった。メトでは主にワーグナー歌手が主役を務めた。


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