フィオナ・アップル
Fiona Apple
Fiona Apple 2015年
基本情報
出生名Fiona Apple Maggart
生誕 (1977-09-13) 1977年9月13日(46歳)
出身地 アメリカ合衆国
マンハッタン、ニューヨーク
ジャンルアート・ポップ、バロック・ポップ、オルタナティヴ・ロック、ジャズ、ピアノ・ロック
職業シンガーソングライター、ピアニスト
担当楽器ボーカル、ピアノ
活動期間1996年 - 現在
レーベルEpic、Columbia
公式サイト ⇒Fiona-Apple.com
フィオナ・アップル・マッガート(Fiona Apple Maggart、1977年9月13日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。フィオナ・アップル(Fiona Apple)の名で活動している。
1996年にアルバム『タイダル』でデビュー。シングル「クリミナル」でグラミー賞の最優秀女性ボーカル・ロック・パフォーマンス賞を受賞する。2作目のアルバム『真実』(1999年)は批評・商業的に成功を収め、プラチナ認定を受けた。3作目『エクストラオーディナリー・マシーン』(2005年)はグラミー賞の最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞にノミネートされる。2012年の4作目『アイドラー・ホイール』は批判的に賞賛され、グラミー賞の最優秀オルタナティブ・ミュージック・アルバムにノミネートされた。2020年、5作目のアルバム『フェッチ・ザ・ボルト・カッターズ』をリリース。
フィオナ・アップルは全世界で1000万枚以上のアルバムを売り上げ、グラミー賞、MTVビデオ・ミュージック・アワード、ビルボード・ミュージック・アワードなど、数々の賞やノミネートを受けている[1]。代表曲に「Criminal」「Fast as You Can」「Every Single Night」などがある。 1977年、フィオナ・アップルはアメリカのニューヨーク市で、ダイアン・マカフィー(歌手)とブランドン・マッガート(俳優)の娘として生まれる。アップル家はエンターテイメント業界に根ざした家系だった。姉のアンバー・テイルーラ(Amber Taleullah)はモード・マッガート(Maude Maggart)というステージ・ネームで歌うキャバレーの歌手である。兄弟のスペンサーは彼女のシングル「Parting Gift」のビデオ監督を務めている。 義理の兄弟ギャレット・マッガートはTVシリーズ“The Sentinel”に出演している。さらに母方の祖母にあたるミリセント・グリーン(Millicent Green)は1920年代の『ジーグフェルド・フォリーズ』と並ぶ代表的ミュージカルである『ジョージ・ホワイツ・スキャンダルス』のダンサーで、祖父のジョニー・マカフィーもビッグバンド時代にマルチ管楽器奏者兼ボーカリストとして活躍していた(夫妻はジョニー・ハンプ楽団のツアー中に出会っている)。両親は法的には結婚せず事実婚の関係で、アップルが4歳の頃に別れた[2]。 幼年期は引っ込み思案の傾向があり、同時に強迫性障害でもあった。5年生の頃には、姉のアンバーと心中すると友人に冗談を言ったことがきっかけでセラピーの世話になった[2]。彼女自身が信頼できるセラピーを見つけるまでの道のりは長く、いくつもの診察を受けることになった。 フィオナ・アップルは12歳の時、感謝祭の前日に学校から母のアパートへ帰る途中レイプの被害に遭う[2]。このレイプ体験についてはいくつかの作品(“Sullen Girl”等)で言及されているが、必ずしも彼女の作品の主たるテーマとなってはいない。メディアはフィオナ・アップルの暗い過去をクローズアップしがちであるが、彼女自身は自分がインタビュアーにレイプ体験の話をしたのはそれが恥ずべき類いの経験だと考えてほしくなかったからだと語っている。彼女がトーリ・エイモスのことを「レイプの看板娘(poster girl for rape)」と呼んだという噂があるが、これは彼女がインタビューでエイモスの楽曲「Me and a Gun」に影響を受けたと語ったことと、レイプ被害体験をもつ人々に対して歌が強いメッセージを持っていると語ったことの2つがねじ曲げられて発生したものである。
生い立ち
経歴