フィアット
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フィアット
FIAT S.p.A.


種類株式会社
本社所在地 イタリア
トリノ
設立1899年 - トリノ
業種輸送用機器
事業内容自動車部品生産システムの製造、販売、新聞紙の発行
代表者ジョン・エルカーン, 会長
オリビエ・フランソワ, CEO
従業員数214,036 (2012年)
主要株主ステランティス
関係する人物ジョヴァンニ・アニェッリ(創業者)
外部リンク ⇒FIATGROUP
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フィアット(: FIAT S.p.A.)は、イタリア自動車メーカーである。現在は、ステランティス N.V. の子会社である。ジョヴァンニ・アニェッリ(右)とジャンニ・アニェッリ

社名のFIATとはFabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字を取ったものである[1]。「トリノのイタリア自動車製造所」の意味。トリノ市のリンゴット地区に本拠を置くことから、フィアット本社工場と「リンゴット」はしばしば同義とされる。

「フィアット、陸に、海に、空に」のスローガンの元、自動車のみならず、自動車関連業、鉄道車両[注釈 1]船舶航空機の製造などのイタリアにおける産業分野全般を掌握し、マスコミュニケーション、金融等にも進出している。

このことから、イタリアのみならずヨーロッパにおいても大きな影響力を持つ。かつては「フランスルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで評された。

イタリア証券取引所に株式を上場している。2007年までニューヨーク証券取引所(コード:FIA)にも上場していた。創業グループの1人のジョヴァンニ・アニェッリを継ぐアニエッリ家が大株主となり代々経営を行っている。
歴史
創業メフィストフェレ

ジョヴァンニ・アニェッリらイタリア北部の数人の実業家の出資によって、1899年トリノで創業された。同年には最初の自動車を発売した。その後1902年にはアニェッリがフィアットの社長となった。1908年には最初の航空用エンジンを開発した。
イタリア最大の自動車会社「トッポリーノ」こと初代500 2代目 NUOVA 500

第一次世界大戦中にフィアットはイタリア北部の工業都市トリノにある工場をフル操業して、連合国軍の1国であるイタリア軍に軍需製品を供給した。路面電車、航空機、鉄道車両トラクターディーゼルエンジンなどの生産で当時3万人以上の労働者を雇用していた。

第一次世界大戦後にはミッレミリアなどのレースでも活躍したほか、フォーミュラカーレースにも参戦してアルファロメオブガッティなどと覇を競った。その後「トッポリーノ」こと初代「500」などの大ヒットモデルを出したほか、高級車部門にも進出した。

また国外進出に意欲的で、第一次世界大戦後には日本アメリカ合衆国満州国などへの輸出を拡大したほか、1934年にはフランスシムカを設立させたほか、ドイツでは1932年NSUの自動車部門を買収し、「NSUフィアット」とした。
第二次世界大戦前後

イタリアが1940年から参戦した第二次世界大戦中は、各種軍用車や航空機などを生産していた。1943年イタリアは連合軍に降伏し、さらにその後も本社のあるトリノなど北部がドイツ軍の占領下におかれたため、生産は停止し、さらに工場が連合国軍機の爆撃を受けるなどの損害を被った。

第二次世界大戦終戦直後の1945年12月にジョヴァンニ・アニェッリが死去した。その後はヴィットリオ・ヴァレッタが経営を行った。イタリアが戦災から復興し1950年代から1960年代にかけて「イタリアの奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げ、「アウトストラーダ」の拡張や自家用車の普及が進む中で「500」(ヌォーヴァ)や「600」などのヒットモデルを送り出した。
海外進出VAZ・2103 ラーダ・ノーヴァ
フィアット・124 ベルリーナ)

なお戦後も海外進出には積極的で、1950年スペインセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立した。1968年にはトルコトファシュを設立している。さらに南アメリカではアルゼンチンに進出した。他にも、1970年代にはブラジルでも生産を始めた。

また、イタリアが冷戦下において共産党を含む左翼陣営が勢力を持っていたこともあり、他の西側諸国が進出を躊躇していた東欧圏への進出を進めた。ソビエト連邦にプラントを輸出し、1970年アフトヴァースが、元イタリア共産党書記長のパルミーロ・トリアッティの名を冠したトリヤッチ市に建設された工場で「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始した。

また、1930年代から生産していたポーランドポルスキ・フィアット)での生産を1965年より再開した。また、ユーゴスラビアザスタバ)にも進出した。
買収攻勢フェラーリのエンジンを搭載したディーノ

1966年にヴィットリオ・ヴァレッタから、ジョヴァンニ・アニェッリの孫のジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称、本名は祖父と同じジョヴァンニ)が経営を引き継いだ。

ジャンニ・アニェッリが経営を引き継いだ1960年代後半から1980年代にかけては、「アウトビアンキ」(1968年)や「フェラーリ」(1969年)、「アバルト」(1971年)のほか、経営不振に陥っていた高級車メーカーの「ランチア」を1969年に買収した。


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