フィアット・124
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フィアット・124(Fiat 124 )はイタリア自動車メーカーフィアットが生産していた乗用車である。

この項では1966年?1985年まで製造された初代について説明する。
初代

フィアット・124
124ベルリーナ
124スポルト・クーペ(中期型)
124スポルト・スパイダー(後期型)
概要
販売期間1966年 - 1974年
(スパイダーは1985年まで。国外生産は2012年まで)
ボディ
乗車定員5人
ボディタイプ4ドアセダン・5ドアワゴン・2ドアクーペ/コンバーチブル
駆動方式FR
パワートレイン
エンジン直列4気筒ガソリン・OHVまたはDOHC
変速機4/5速MT・3速AT
前前:独立 ウィッシュボーン コイル  
後 :固定 トレーリングアーム パナールロッド コイルマクファーソンストラット コイル
後前:独立 ウィッシュボーン コイル  
後 :固定 トレーリングアーム パナールロッド コイルマクファーソンストラット コイル
車両寸法
ホイールベース2,420mm
全長4,030mm
全幅1,625mm
全高1,420mm
車両重量855kg
その他
累計生産台数約1500万台
系譜
先代1300/1500
後継131
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概要

1966年に、それまで生産されていた1300/1500の後継車種として発表された124は、開発コードの1で始まる3桁の数字をそのまま車名とする新しいネーミングが与えられた初のモデルで、ほぼ同時期に社長に就任したジャンニ・アニェッリ(創業者ジョヴァンニの子息)の就任後初のニューモデルであった。

124は何の装飾もないシンプル極まる箱型ノッチバックの後輪駆動4ドアセダンであったが、軽量設計を特徴とし、トータルバランスに優れた軽快な小型ファミリーカーとして完成された製品であった。

このクラスの実用車としてはルノー・8と並び、早くから4輪ディスクブレーキが採用された他、リアサスペンションも固定軸ながらコイルスプリングが採用されるなど、時流に半歩先んじた技術が採用されていた。

1,198ccのOHVエンジンは、元フェラーリの主任技術者アウレリオ・ランプレディによって新設計されたもので、DOHC化された発展型を含め、ランプレディ・エンジンまたはランプレディ・ユニットと呼ばれる。

なお、小型・軽量で、高回転を許容する優れた設計であったこのエンジンは、シリンダーヘッドをDOHC化した高性能版が追加されて以降、排気量の拡大や、前輪駆動車向けの横置用の追加などを経て、1990年代までの約30年間、フィアットグループ(ランチアよびアルファ・ロメオを含む)の多くの乗用車に搭載され、フィアットを代表する名機と位置付けられている。また、WRC(世界ラリー選手権)においても、後述の124アバルト・ラリーに始まり、131アバルト・ラリー、ランチア・ラリーランチア・デルタと数々の名車に搭載されて、約20年の長きに渡り第一線で活躍を続け、数多くの栄冠をフィアットグループにもたらした。

1967年にはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
バリエーション

124にはその後、5ドアワゴン、高性能モデルのスペシャル、スポルトスパイダー、スポルトクーペが順次追加され、バリエーションを拡大した。
4ドア・ベルリーナ

当初の1,197cc65馬力の標準型に加え、1968年には排気量を1,438ccに拡大して70馬力とした「スペシャル」が追加された。外観も丸型4灯式ヘッドライトが与えられ、標準型とは大きくイメージを変えた。同時にトップモデルとして、スポルト系に使われていたDOHCエンジンを装備した「スペシャルT」も登場した。

1970年にマイナーチェンジを受け、標準型はフロントグリルのパターン変更、スペシャル系は黒い樹脂製のフロントグリルに変更されて印象を改めた後、1972年にスペシャルTのエンジンが同年生産中止となった125で用いられていた1,592cc95馬力に変更された。その後は変更なく1974年まで生産された。

日本へは登場直後から西欧自動車によって輸入されたが、余りにシンプルな標準型は「外車=高級車」という日本的価値観と相容れず、販売台数はごく少なく、むしろ1967年に誕生したDOHCエンジン搭載の上級車種である125の方が販売の主力となり、124の輸入は早々に打ち切られた。しかし、一時中断したフィアットの輸入が1974年ロイヤル・モータースによって再開された際には、既に消滅していた125に代わって対米輸出仕様の124スペシャルTが導入され、1976年に131Sが輸入開始されるまで販売された。ただし、排気ガス対策で83馬力にパワーダウンした上、不似合いに大きな衝撃吸収バンパーが装着され、オートマチック版も存在しなかったため、販売台数はクーペやスパイダーよりも少なかった。
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「フィアット・124スパイダー」はこの項目へ転送されています。2016年から発売された2代目については「フィアット・124スパイダー (2016年)」をご覧ください。
1974年式(対米輸出仕様BSモデル)スパイダー2000(バンパーレスに改造)

4ドアが登場した1966年秋のトリノ・ショーに、1959年以来生産されてきた1500/1600Sカブリオレの後継車として、同じピニンファリーナのデザイン・車体製作による2ドアスパイダー(形式:124AS)が登場し、翌67年から発売された。シャシーはベルリーナとほぼ共通の設計ながら、ホイールベースが短縮されている。エンジンも当初からタイミングベルトを用いたDOHC形式が採用され、1,438cc90馬力を発揮した。この時点で、既に四輪ディスクブレーキ・DOHCエンジン・5速ギアボックスを完備しており、先行するライバルのアルファロメオ・スパイダー(デュエット)を意識した、非常に進歩的な設計といえる。

また、ソフトトップ(幌屋根)の構造も独創的で、後部側面ガラス(リアクォーターグラス)を有しており、幌をたたむ際にボディ内に収納されるようになっている。多くの2ドアオープンモデルの場合、幌の後部側面は覆われるか、小さなビニール窓が設けられる程度で、後方視界が限られることが多いが、側面後部ガラスを採用したことにより、雨天時の実用性も確保されている。

なお、狭いながらも後部座席が設けられているほか、比較的大きなトランクスペースが確保されており、また、ライバルと目されるアルファロメオ・スパイダーに比べて操作性に癖がないため、スポーツカー然とした見た目とは対照的に、大衆車メーカーならではの堅実な設計によって高い実用性を有している。

1970年にマイナーチェンジを受け(形式:124BS)、フロントグリルの意匠が横桟からハニカムグリルに変更された。また、エンジンも従来の1,438ccに加えて、ボアアップした1,608cc110馬力の高出力エンジンを搭載したモデル(形式:124BS1)が追加されている。この124BS1は、エンジンにウェーバー40IDF型キャブレターを2基(アメリカ仕様では1基)搭載しており、このため、従来フラットだったフロントフード(ボンネット)に、ツインキャブレターとの干渉を防ぐためのパワーバルジが設けられている。

1973年には、エンジン構造の一部見直しによりエンジン型式が「124」から「132」に改められるとともに、1,592cc106馬力のモデル(形式:124CS)のみとなったが、1974年に排気量を拡大した1,756cc118馬力版が追加された。

1979年のマイナーチェンジでは、パワーウィンドウの追加、リアコンビネーションランプの大型化などの改良が行われたほか、ヨーロッパ仕様車にも対米輸出モデル同様の衝撃吸収型大型バンパーを与えられ、厳しくなる一方の排気ガス規制の対策のために、その出力は100馬力(日本への正規輸入車を含む対米輸出車では78馬力)に抑えられた。しかしその後、排気量を1,995ccへと拡大して、ボッシュ社製燃料噴射装置を導入(この際、フロントフードのパワーバルジも大型化)することで、110馬力(アメリカ仕様で105馬力)となり、フィアット・スパイダー2000の名称で販売された。また、1981年には、ターボチャージャーを追加した性能強化モデルが追加されたが、少数の生産にとどまった。

1982年には、車名からフィアットが外され、ボディ製造を行っていたカロッツェリア「ピニンファリーナ」のブランド名で、「ピニンファリーナ2000スパイダー」として発売された。基本的な部分はフィアット・スパイダー2000と同じであるが、ピニンファリーナエンブレム、ドアノブ(同時期のアルファ・スパイダーと共通)、フロントフードおよびトランクリッドの開閉機構、シート形状、ドア内張り、トノカバー取付方法、デジタル時計の追加、メーター周りの意匠、後部座席の廃止(一部では収納機能の追加)、メタリックカラーのボディ色、幌のカラーバリエーション追加、14インチのアルミホイールなど、高級感の向上を企図した各種の変更が施され、1985年まで製造された。モデルバリエーションとしては、ピニンファリーナ2000スパイダー・ヨーロッパ、ピニンファリーナ2000スパイダー・アズーラ(Azzura)に加えて、スーパーチャージャーを追加した135馬力エンジンと、15インチの専用アルミホイールとフロントリップスポイラーを標準装備として、ヨーロッパ向けに販売された「VX(Volmex)」がある。

124スパイダーは、デビュー当時からの基本的な外観と構造を維持したまま20年間を生き伸び、累計生産台数は約15万台に達した。生産台数の過半は北米に輸出されたが、イタリア以外のヨーロッパ諸国でも多くの台数が販売され、比較的入手が容易な価格のイタリア製オープンスポーツカーとして、アルファ・スパイダーと人気を二分した。こうした事情から、フィアットの旧車では2代目500とともに、2015年現在でも容易に多くの補修部品を入手できる。


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