フアナ・エンリケス
Juana Enriquez
ナバラ王妃
アラゴン王妃
シチリア王妃
ポブレー修道院にある、フアナ・エンリケスの墓碑
在位ナバラ王妃:1444年 - 1468年
アラゴン王妃:1458年 - 1468年
シチリア王妃:1458年 - 1468年
出生1425年
カスティーリャ=レオン王国、トレロバトン
死去1468年2月13日
アラゴン連合王国
カタルーニャ君主国、タラゴナ
埋葬 アラゴン連合王国
カタルーニャ君主国、ポブレー修道院
結婚1444年4月1日 トレロバトン
配偶者アラゴン王フアン2世
子女フェルナンド2世
フアナ
家名エンリケス家
父親メルバ伯・ルエダ伯ファドリケ・エンリケス
母親マリアナ・デ・コルドバ
宗教ローマ・カトリック
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フアナ・エンリケス(Juana Enriquez, 1425年 - 1468年2月13日)は、アラゴン王フアン2世の王妃で2度目の妻。父はカスティーリャの貴族でエンリケ2世王の弟ファドリケ・アルフォンソの子孫であるメルバ伯およびルエダ伯ファドリケ・エンリケス、母はマリアナ・デ・コルドバである。
1444年にフアンと結婚し、1男1女をもうけた。
フェルナンド2世(1452年 - 1516年) - アラゴン王
フアナ(1454年 - 1517年) - ナポリ王フェルディナンド1世の妃
フアンは1441年に先妻であるナバラ女王ブランカ1世を亡くしていた。この最初の結婚によってフアンもナバラ王となっていたが、ブランカの死後に嫡子であるビアナ公カルロスが継ぐべき王位を譲ろうとせず、父子の対立からナバラでは内乱となった。後妻であるフアナ・エンリケスが新たな息子フェルナンドを生んだことで、対立はいっそう激しくなった。
1468年、夫に先立って死去した。.mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.90em;right:1em;display:none}
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