ファーンクリフ墓地
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ファーンクリフ墓地
Ferncliff Cemetery
ファーンクリフ墓地のエントランス(2006年、Anthony22撮影)
詳細
開園1902年
所在地ニューヨーク州ウエストチェスター郡
アメリカ合衆国
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度01分39秒 西経73度49分57秒 / 北緯41.0275度 西経73.8325度 / 41.0275; -73.8325座標: 北緯41度01分39秒 西経73度49分57秒 / 北緯41.0275度 西経73.8325度 / 41.0275; -73.8325
ウェブサイト ⇒Ferncliff Cemetery Association
Find a Graveファーンクリフ墓地
Ferncliff Cemetery
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ファーンクリフ墓地(Ferncliff Cemetery)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ウエストチェスター郡グリーンバーグのハーツデール(英語版)にある墓地マンハッタンミッドタウンの北およそ40kmのところにある。開設は1902年で、無宗派。3つの共同霊廟、納骨堂、火葬場、礼拝堂などがある。
共同霊廟

ファーンクリフ墓地の3つの共同霊廟について、『ニューヨーク・タイムズ』紙は「贅沢な埋葬スペース」と評した。2001年の段階で霊廟の地下納骨堂の標準価格は15,000ドルもした。最高クラスのものになると、ブロンズの門、クリスタルのシャンデリア、ステンドグラスの窓付きで280,000ドルになる[1]
ファーンクリーフ霊廟

「思い出の大聖堂」と呼ばれるファーンクリフ霊廟が作られたのは、3つの霊廟の中でもっと早い1928年。古典的な建築様式。自然光を取り込む窓ガラスがないため廊下は暗い。エド・サリヴァンジョーン・クロフォードがこの霊廟に眠っている。
記憶の聖堂

記憶の聖堂(The Shrine of Memories)は2番目に作られたもので、1956年に完成した。第一の霊廟よりは現代的な構造になっている。自然光が差し込むガラスがたくさんある。メインホールにはクリストファー・コロンブスの肖像画がかけられている。ここにはベイジル・ラスボーンが埋葬されている。
ローズウッド

ローズウッドは1999年に完成した。歌手のアリーヤと父親が個室を所有している。キャブ・キャロウェイは妻と一緒に埋葬されている。
共同墓地

ファーンクリフ墓地では霊廟の前にある区画に地下埋葬される。屋外の地所に直立した墓石を建てることを認めない、極めて稀な墓地である。これにより墓地のメンテナンスが簡単になる。しかし、この方針制定前に建てられた直立墓石がいくつかある。マルコム・Xの墓もそのひとつで、パインウッドB区画にある。



埋葬されている著名人墓地の正門(D C McJonathan撮影)

アリーヤ (1979?2001) 歌手、女優

ハロルド・アーレン (1905?1986) 作曲家

トミー・アーマー(英語版) (1895?1968) プロゴルファー

レオポルト・アウアー (1845?1930) ヴァイオリニスト

アーリーン・オジェー (1939?1993)オペラ歌手

ジェイムズ・ボールドウィン (1924?1987) 小説家、随筆家

リチャード・バーセルメス (1895?1963) 俳優

バルトーク・ベーラ (1881?1945) 作曲家、ピアニスト、民族音楽研究科

チャールズ・A・ビアード (1874?1948) 歴史家

メアリー・リッター・ビアード(英語版) (1867?1958) 歴史家

ジョセフ・P・ビッカートン・Jr (1878?1936) 弁護士、劇場プロデューサー


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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