ファーゴ市
City of Fargo
上空西側よりファーゴのダウンタウンを望む
標語 : "Gateway to the West (西部への玄関口)"
位置
右上: ノースダコタ州におけるカス郡の位置
左: カス郡におけるファーゴの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯46度52分38秒 西経96度47分22秒 / 北緯46.87722度 西経96.78944度 / 46.87722; -96.78944
ファーゴ(Fargo)は、アメリカ合衆国ノースダコタ州南東部に位置する都市。ミネソタ州との州境になっている北のレッド川(以下、特に断りの無い限り、「レッド川」はこの「北のレッド川」を指す)西岸、ミネアポリス・セントポールの北西約350km、カナダ・マニトバ州ウィニペグの南約360kmに位置する。人口は125,990人(2020年国勢調査)[2]で州最大、州の総人口の約1/6を占める。ファーゴに郡庁を置くカス郡、およびレッド川対岸のミネソタ州ムーアヘッドに郡庁を置く同州クレイ郡の2郡から成る都市圏は人口249,843人(2020年国勢調査)[3]を数える。この都市圏にワーペトン小都市圏(リッチランド郡、ミネソタ州ウィルキン郡)を加えた広域都市圏は272,878人(2020年国勢調査)[3]の人口を抱えている。
ファーゴは1871年に、レッド川の氾濫原に創設された[1]。今日では、ファーゴはノースダコタ州東部、およびミネソタ州北西部における文化、商工業、医療、および教育の中心地となっている。また、ノースダコタ州においてはグランドフォークスのノースダコタ大学と共に双璧を成すノースダコタ州立大学は、ファーゴにキャンパスを置いている。.
歴史ウィリアム・ファーゴ
もともとはスー族(ダコタ族)のものであったこの地に、今日のファーゴ市となる、レッド川を遡る蒸気船の停泊地が設けられていたのは、1870-80年代のことであった。この停泊地は当初セントラリア(Centralia)と呼ばれていたが、その後ノーザン・パシフィック鉄道の取締役で、ウェルズ・ファーゴおよびアメリカン・エキスプレスの創設者でもあるウィリアム・ファーゴにちなんで、現名のファーゴに改称された[4][5]。ノーザン・パシフィック鉄道の開通と共に、ファーゴの町は発展し始め、「西部への玄関口」と呼ばれるようになった。
また、1880年代、ファーゴでは離婚に関する法律が緩かったため、「中西部の離婚の都」とも呼ばれた[6]。
1890年、ノースダコタ州のランドグラント大学であるノースダコタ農業大学が創立し、ファーゴにそのキャンパスが置かれた。このノースダコタ農業大学は、次第に提供する専攻の幅を広げて総合大学化し、1960年にノースダコタ州立大学に改称された[7]。
1893年6月7日、ファーゴの中心部で大火が起き、31ブロックにわたる160エーカー(65ha)以上が焼失した。火元に最も近い消防署が通常の散水業務のために出払っていたことに加えて、火元に最も近い火災報知器の鍵を誰も見つけられなかったことで初期消火が遅れ、市中心部に建ち並んでいた建物のほとんどが木造であったこと、さらに折からの時速30マイル(48km、秒速にして13.3m)の風に煽られて、瞬く間に延焼した。しかし、その直後に耐火性の高いレンガ造の新しい建物が建ち、新しい街路が敷かれ、水利も整備され、市は復興した[8]。ペンス自動車会社倉庫ヘクター国際空港に接近する竜巻(1957年)
20世紀に入る頃、全米的に自動車産業が興った。1905年、キャデラックやビュイックを販売する[9]自動車販売会社、ペンス自動車会社がファーゴに拠点を置いた[10]。1920年には、同社のショールーム、サービスセンター、および倉庫となる建物が、ファーゴのダウンタウンに建てられた[11]。このクラシカル・リバイバル様式の建物は、1994年に「ペンス自動車会社倉庫」として国家歴史登録財に指定された[9][11][12]。
1910年のレイバー・デイ、第26代大統領を務めたセオドア・ルーズベルトはファーゴを訪れ、ノースダコタ農業大学新図書館の礎石を定めた。定礎式に集まった30,000人の群衆に対し、ルーズベルトはその27年前に初めてファーゴを訪れた時のこと、そしてノースダコタの農場での経験が、後に大統領へと上り詰める原点となったことを演説した[13]。
第二次世界大戦後、ファーゴ・ムーアヘッド両市を中心とするこの地域は急成長した。