ファン・マヌエル・マルケス
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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はマルケス、第二姓(母方の)はメンデスです。(Template:スペイン語圏の姓名

フアン・マヌエル・マルケス
基本情報
本名フアン・マヌエル・マルケス・メンデス
通称Dinamita(ダイナマイト)
JMM
階級ウェルター級
身長170cm
リーチ170cm
国籍 メキシコ
誕生日 (1973-08-23) 1973年8月23日(48歳)
出身地メキシコシティ
家族ラファエル・マルケス(弟)
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数64
勝ち56
KO勝ち40
敗け7
引き分け1
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フアン・マヌエル・マルケス(Juan Manuel Marquez Mendez、男性、1973年8月23日 - )は、メキシコの元プロボクサー。元WBAスーパーIBF世界フェザー級統一王者。元WBO世界フェザー級王者。元WBC世界スーパーフェザー級王者。元WBAスーパー・WBO世界ライト級統一王者。元WBO世界スーパーライト級王者。世界4階級制覇王者。トレーナーはイグナシオ・ベリスタイン

兄と同様、チームには世界戴冠以前より日本人(ロマンサジャパンボクシングジム 中島利光代表)が名を連ねる。2005年に来日したことがある。目次

1 概要

2 来歴

3 戦績

4 獲得タイトル

5 数々の不運と不遇・エピソード

6 ペイ・パー・ビュー売上げ

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

概要

攻撃力の高さから「Dinamita(ディナミータ)」(スペイン語ダイナマイトを意味する)の異名を持つ。ボクシング一家に育ち、弟のラファエル・マルケスは元2階級制覇王者である。2007年に弟ラファエルと共に史上初の兄弟同時2階級制覇を成し遂げた。
来歴

治安の悪いイスタパラパ地区で育ち、8歳で元プロボクサーの父親からボクシングを習い始め、12歳の時から名匠イグナシオ・ベリスタインに師事するようになる。アマチュアボクシング戦績は35勝1敗。

1991年にプロデビュー予定だったが、デビュー直前のある日、オレンジを取ろうと木に登った際に落下して背骨に重傷を負った。その後、奇跡的に回復したがプロデビューは2年遅れることとなる。

1993年5月29日、19歳でプロデビュー。プロデビュー戦では初回に3度のダウンを奪うが、2回開始時に反則負け。この時の対戦相手がコミッション・ドクターのお抱え選手であったため、露骨な贔屓判定によって黒星を付けられた。

その後は順調に勝ちを重ね1997年2月23日、NABO北米フェザー級王座を獲得した。マルケスは22ヶ月連続でWBO世界フェザー級王者ナジーム・ハメドの指名挑戦者として君臨していたが、WBOはハメドがマルケス以外の相手と戦うことを許可し続けたため、挑戦することができず、「無冠の帝王」と呼ばれた。

同王座を7度防衛した後、1999年9月11日、WBA世界フェザー級王者フレディ・ノーウッドと対戦。実質2度のダウンを奪ったにも関わらず、レフェリーはダウンをとらず、結果は判定負けで王座獲得ならず。

その後は、2002年3月9日、ロビー・ピーデンを10回TKOで破り、NABF北米王座とUSBA全米王座を獲得するなど、KO勝ちを続けて、フェザー級最強の呼び声も高い実績を作った。

2003年2月1日、IBF世界フェザー級王座決定戦でマヌエル・メディナと対戦。


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