ファンロード
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『ファンロード』(Fanroad)は、日本アニメ雑誌[1]。アニパロ誌の代表的存在。何度か休刊および復刊と名称の変更をしている。

創刊以来、編集は一貫して編集プロダクションの銀英社が行い、浜松克樹が編集長を務めている。発行元は、創刊当初はラポート[2]、2003年に大都社に移管[2]。2009年に『ファンロード改』としてインフォレストから[3]、さらに2010年に『投稿道F』として大洋図書、2012年にミラージュプレスより『ファンロード電子版』、と発行元が変遷した。
歴史

1980年7月15日(8月号) - ラポートより、隔月誌[注釈 1]『ふぁんろ?ど』として創刊。創刊当時は赤字続きだったが、ラポートの2代目社長の優れたリサーチ能力によって編集内容をバックアップした事により徐々に上向き、その後サブカルチャー方面の雑誌として一定の人気を得るようになった。

1981年10月15日(11月号) - 初めて読者の投稿イラストが表紙に使われる。

1981年12月15日(1月号) - 表紙ロゴが英字の「Fanroad」に変更される。

1982年4月15日(5月号) - 『伝説巨神イデオン』をテーマに、「シュミの特集」最初の事典が作られる。

1983年10月15日(11月号) - 月刊化。

1985年5月25日 - 増刊誌『マンガ・ファンロード』1号において、和田慎二がいちファンである投稿者と漫画「パニック☆イン ワンダーランド」を合作する。

1985年8月12日 - 日航機事故で、当時の有名投稿者・緋本こりん(本名:生駒隆子)が同誌のイベントからの帰路、日本航空123便に乗り合わせ事故死した。9月号発売直前(8月15日発売)だったため(ちなみに、同号にも本人の投稿作品が掲載されていた)1か月以上正式発表がなく(これは「故人を静かに送らせてやって欲しい」という、緋本の両親の願いに編集部が応えたためのもの)、夏期のイベント等で大変な噂となった。その後、同年10月号にて正式な発表とともに遺作が掲載された。なお、この号で緋本の実兄が読者にコメントを寄せている。編集長は編集後記の欄でこの件をイベント等の公の場で騒ぎ立てた読者達を非難した。

1986年4月15日(5月号) - 『バオー来訪者』特集のために、作者である荒木飛呂彦が表紙イラストを描き下ろす。

1990年2月15日(3月号) - 「表紙あおり文」が読者公募になる。

1995年3月15日(4月号) - 阪神・淡路大震災の被害を受けた地域に住む投稿者の身を案じる投稿や、地元読者からの報告などが多数寄せられたため、編集部からのねぎらいの言葉とともに臨時の特集が組まれた。なお、事情を考慮し特例として投稿文の表現を若干和らげる措置がとられた事が編集部から説明されている。

1995年9月15日(10月号) - 『スレイヤーズ』特集において、原作者の神坂一によるイラスト投稿が、一般読者と同様の形で掲載される。

2000年8月12日(9月号) - 20周年を機に、読者公募によりタイトルロゴを一新する。

2001年1月1日 - 1985年開催の筑波万博での企画「ポストカプセル2001」で出された、当時の読者からの「21世紀への年賀状」が編集部に届く。同年3月号では、その中から文章2通、カラーイラスト1通が誌面に掲載された。

2003年10月5日 - ラポートが倒産したことにより9月13日発売の10月号を最後に休刊となる[2]。10月15日発売予定だった11月号は、完成済みだったが発行されなかった。

2003年12月15日 - 大都社によって発行が継続されることになり、2004年1・2月合併号から再開される[2](この号よりタイトルロゴが2代目のものに戻る)。

2005年7月15日(8月号)- 本誌読者でもある中川翔子が、カラー記事「燃えよショコタン危機一発!」を連載開始。

2008年12月 - 「ファンロード・モバイル」開始。

2009年3月14日(4月号)[2][4] - 巻末で、大都社からの出版が休刊になる告知がされる[2][4]。休刊中は他の出版社での復刊を模索しつつ、モバイル版の運営をしながら[2]本誌の投稿も従来通り受け付けていた。

2009年7月16日 - 発行元をインフォレストに移し、コスプレ情報誌『COSMODE』の増刊として『ファンロード改』と改称して復刊[3]

2010年1月16日 - 発売予定だったVol.4が、誌面リニューアルのため発売延期になることがモバイル上で告知される[注釈 2]

2010年6月9日 - 大洋図書系のグライドメディアから女性向けファッション誌『egg』の増刊として、『投稿道F』(とうこうどうエフ)と改称し3度目の復刊を果たす。

2010年8月13日15日 - 「コミックマーケット78」企業ブースにおいて、初の出展を行う。

2010年11月8日 - 発売予定だった第4号の発売を中止、新たな引受先を模索する予定とツイッターで発表。

2011年6月 - 東日本大震災により建物が損壊したため、初の編集部移転を行ったことがモバイルサイトで告知される[注釈 3]

2012年10月31日 - 「ファンロード・モバイル」サービス終了。リニューアルの予定を告知。

2012年12月5日 - 編集長によるメールマガジン「ファンロード的描く載る食べる」がまぐまぐ!より発行開始。

2012年12月29日 - ミラージュプレスより「ファンロード電子版」を発行。オンデマンド出版による冊子版の通信販売も共に告知される。Vol.1のみ発売され、Vol.2は誌面上で告知されたが発売されなかった。

特徴

最大の特徴は、(表紙イラストも含め)誌面のおよそ9割が読者投稿を元に編集構成されていることにある。例えるなら、大抵の雑誌に存在する「読者投稿ページ」だけでひとつの雑誌になっているようなものである。

ジャンルとしてはアニメ雑誌に分類されるが、実際扱うネタの種類はアニメや漫画以外にも特撮、芸能、食物、時事、ゲーム等、多種多様におよび
[注釈 4]、事実上はほぼ制限がないとも言える。

投稿されるイラスト、漫画、ネタなどはレベルが高いものも多く、常連投稿者の中には後に商業誌等でプロデビューを果たしたものもいる(後述の#元投稿者の作家参照)。

創刊時からの編集長である浜松克樹(通称:イニシャルビスケットのK)が『リングにかけろ』の大ファンだったことから、その流れで『週刊少年ジャンプ』作品が大きく扱われることが多い。かつては男性読者の比率が高かったが、次第に女性読者の比率が増えていった[5]

「ファンロード」の商標権は現役の編集長でもある浜松個人が所有している。

主な投稿コーナー
シュミの特集
略して「シュミ特」と呼ばれるメイン記事。カラーイラスト、白黒イラスト、大事典の3つで構成される。おおまかに分けて特定の一作品を扱った「単独シュミ特」と、1ジャンルを総ざらいした「ジャンル物シュミ特」の2種類がある。特集のテーマは主にアンケートハガキや普段の投稿量の多さから決められる。ただし過去に一度だけ『
科学戦隊ダイナマン』のシュミ特が投稿が集まらず、実施されなかった事がある。そのため単独タイトルだけでは投稿の集まりが不安がある場合、同ジャンルの他作品に関する投稿も一緒に募集する事もある(『SAMURAI 7』+時代劇もの、『BLOOD+』+吸血鬼ものなど)。これらの複合特集に別作品で特集に参加する事を投稿者用語で「乱入」と呼び、投稿者自らハガキの隅等に「○○で乱入!」と書くなどの形で使用される。場合によっては同じ作品が異なる切り口の特集に出る事も可能であり(例えば『MAJOR』は「スポーツ特集」の他に「『少年サンデー』特集」にも参加可能である等)、2008年3月号から6月号にかけては、当時投稿が多かった『機動戦士ガンダム00』をフォロー可能な、それぞれ異なるジャンルのシュミ特が4号連続で組まれた。


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