ファルマス.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
英語: Falmouth
コーンウォール語: Aberfal
ファルマス港
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人口21,635人 (2001年国勢調査)
英式座標
ファルマス(英: Falmouth、コーンウォール語: Aberfal)は、イギリスのコーンウォール南海岸、ファル川河口に位置するタウンかつ行政教区[1]。人口2万1635人[2]。サマセットのバースから200キロほどの、A39号線の終点にあたる。 ファルマスは港町として知られる。天然港として世界三位、西ヨーロッパでは最も深い[3]この港はフランシス・チチェスターやエレン・マッカーサーの世界一周航海の起点となった。ドック内ではファルマス・ドック警察が法を執行する。 この地名は英語起源で、 Aberfal というコーンウォール語名は近年話者がウェールズ語の先例をもとに訳したものである。なかにはかつてのケルト名 Peny-cwm-cuic を英語化して、ペニーカムクイック (Pennycomequick) と呼ぶべきとする意見もある[4]。 1540年、カリック湾防衛のためヘンリー8世はファルマスにペンデンニス城を置いた。当時の主な町はペンリンで、1613年にジョン・キリグルー卿がファルマス町を創設した[5]。 ペンデンニス城の城壁は16世紀後半、スペインの無敵艦隊の脅威が迫るなかで強化された。清教徒革命中の内戦では、議会派に投降した最後から二番目の城となった[6]。 内戦後、ピーター・キリグルー卿はチャールズ1世に献じられたチャールズ殉教王教会の敷地を手放し、王の庇護を得た[7]。翼に塔を擁する双頭の鷲という町章のデザインは、キリグルー家の紋章をもとにしている[8]。 ファルマスでは1689年から1851年までの160年以上にわたって、郵便船が運航された。この貨物船は本国と植民地の間で貨物の運送を担った。グレートブリテン島最西端の良港は、帰島した艦船の最初の寄港地ともなった。ドックに繋留された救命艇。奥に旧市街とペンリン川がみえる トラファルガーの海戦でのイギリス大勝とホレーショ・ネルソン提督戦死の報せは、スクーナー「ピックル」号でファルマスに上陸し、駅馬車でロンドンまで伝えられた。探検航海で有名なビーグル号は1836年10月2日、ファルマス港に錨を下ろし、世界一周を終えた[9]。チャールズ・ダーウィンは夕刻下船し、家族の待つシュルーズベリーまで郵便馬車を駆った[10]。ビーグル号は数日停泊し、ロバート・フィッツロイ船長は近くのペンジェリック街にフォックス家を訪ねた。ダーウィンと航海をともにしたサリバンは後年、フラッシング村に隠棲し、多くの海軍士官が家を構えるようになった。 1839年にはブラジルから到着した4600ポンド相当の砂金が盗まれる事件が起こった[11]。 1858年からファルマス・ドックが開発され[12]、1867年には王立救命艇協会 (RNLI) が近くに救命ステーションを置いた。現在の庁舎は1993年から沿岸警備隊と共同で使用している[13]。全長17メートルのサバーン級「リチャード・コックス・スコット」号とアトランティック75級「イブ・パーク」号の二艇が配備されている[14]。 鉄道はコーンウォール鉄道が1863年8月24日、ファルマスまで開通した。鉄道の開通は町に観光客をもたらしたほか、港から荷揚げされた貨物を安定して輸送できるようになった。現在、町内には三つの駅がある。ファルマス・ダック駅は開通当時からの終着駅で、ペンデンニス城やギリングバース・ビーチに近い。ファルマス・タウン駅は1970年12月7日の設置で、コーンウォール国立海事博物館やウォーターフロント、ファルマス市街の最寄りである。1925年7月1日開業のペンメア駅からはザ・ムーア山頂まで徒歩でいける。マリタイム線がこれら三駅とトルロを結ぶ。ペンメア駅舎は1990年代後半に駅名標や調度を残して修復され、いまでは20世紀初頭の面影を残す好例となっている。 第二次世界大戦中は31人がドイツ軍の爆撃で死亡した。サン=ナゼールを急襲するチャリオット作戦の部隊はここから出撃した。Uボートの進入を阻止するため、ペンデンニスからセント・モーエスにかけて対潜水艦網が張られた。 2012年4月30日、ファルマス・ビーチ・ホテルの4階から出火し炎上、屋根が崩落し建物は壊滅した[15][15]。この火事では100人もの消防士が動員された[16]。 ファルマスの海事産業は在りし日に比べると衰えたが、いまだドックの地元経済に対する貢献は大きい。コーンウォール最大の港湾施設は、船への燃料補給や貨物の積み替えでせわしない。
ファルマス港
歴史「チャールズ殉教王」に献じられたファルマス教区教会
経済ファルマス港