ファラオ・サンダース
写真中央、レジー・ワークマン(左)と
1978年
基本情報
出生名Farrell Sanders
生誕 (1940-10-13) 1940年10月13日(81歳)
出身地 アメリカ合衆国
アーカンソー州リトル・ロック
死没 (2022-09-24) 2022年9月24日(81歳没)
ジャンルフリー・ジャズ
ワールド・ミュージック、アフロ
職業サクソフォーン奏者
担当楽器テナー・サックス
フルート
活動期間1961年 -
レーベルESP
インパルス!レコード
アリスタ・レコード
Theresa
この項目は訃報が伝えられた直後の人物について扱っています。その人物の死の詳細や取り巻く環境また状況が知れ渡っていくに従い、この項目の内容もまた急速に大きく変化することがありますのでご注意ください。
ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders、1940年10月13日 - 2022年9月24日[1])は、アメリカ合衆国のジャズ・サクソフォーン奏者。アーカンソー州リトル・ロック出身。晩年のジョン・コルトレーンと活動を共にしており、彼の後継者として知られている。 クラリネットを始めた後に、テナー・サックスへと転向した。当初はブルースを演奏し、ボビー・ブランドがリトル・ロックを訪れた際、バックを務めた経験もある[2]。1959年、大学進学のためにカリフォルニア州オークランドへ移り、デューイ・レッドマンやフィリー・ジョー・ジョーンズらと共演後、1962年、拠点をニューヨークへと移す[3]。 サン・ラとの共演を経て、1964年、自身初のリーダー・アルバム『ファラオ』をESP-Diskレーベルから発表した。1965年にはジョン・コルトレーンのグループに加入する。コルトレーンにとって唯一の日本公演(1966年)にも帯同し、1967年にコルトレーンが他界してからはバンド・リーダーとしての活動が中心となる。 インパルス!レコードから発表した諸作では、ゴスペルやファンク、アフロビートなど幅広い黒人音楽をフリー・ジャズに取り込んだことで知られている。32分に及ぶ「The Creator Has A Master Plan」を収録した『カーマ』(1969年)は、『ブラック・ユニティ』(1971年)とならぶ彼の代表作のひとつである。なお、『ラヴ・イン・アス・オール』(1973年)では自らボーカルを披露している。インパルス!時代における彼のサイドマンとして、ロニー・リストン・スミスやセシル・マクビー、ロン・カーター、スタンリー・クラークなどが挙げられる。 1977年にアリスタ・レコードへ移籍してからは、コンテンポラリー路線にも手を染めるようになる。1987年にはオランダのジャズ・レーベル、タイムレス・レコードに移籍。ヴァーヴ・レコードから発表した『メッセージ・フロム・ホーム』(1996年)と『Save Our Children』(1998年)には、バーニー・ウォーレルやジャー・ウォブル
経歴
自身のリーダー作においては、コルトレーンが作曲した楽曲(「ネイマ」「Welcome」)や、コルトレーンがレパートリーとした楽曲(「夜は千の目を持つ」)を頻繁に取り上げ、師としての彼に対する敬意を表している。 アルバート・アイラーは、三位一体になぞらえて「トレーン(ジョン・コルトレーンの愛称)が父、ファラオが子、私が聖霊」と述べている[5]。
評価