ファドゥーツ
Vaduz
基礎自治体
ファドゥーツ
旗
紋章
ファドゥーツとその飛び地
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度8分0秒 東経9度31分0秒 / 北緯47.13333度 東経9.51667度 / 47.13333; 9.51667
ファドゥーツ(ドイツ語: Vaduz [fa?d??]/[va?du??][2] 音声 ファドゥツ、ヴァドゥーツ、高地アレマン語: Vadoz [fa?dot?s][3]ファドツ、英語: Vaduz [v???du??] ヴァードゥーツ、日本政府における公用表記:ファドーツ[4][5])は、リヒテンシュタインの首都。
同国中部のライン川上流右岸にあり、スイスとの国境に近い。北緯47度8分、東経9度30分。レティコン山塊の北西麓にある観光の中心地で、美術館のほか16世紀からの城もある。
住民のほとんどがドイツ系アレマン人。人口5,100人(2009年)。隣接するシャーンの方が人口は多い。また、飛び地も多いので領域もまとまっていない。
歴史ファドゥーツ大聖堂
13世紀に街が作られた、と言われる。1322年に城が造られたが、1499年にアレマン系のスイス人による略奪が起こった。17世紀に入ると、リヒテンシュタイン家は、帝国議会における議席の条件となる所領を求め、1699年にはシェレンベルク男爵領を、1712年には隣接するファドゥーツ伯領を購入した。この2つの隣接した所領は1719年、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝・カール6世によって神聖ローマ帝国に属する領邦国家に公認され、リヒテンシュタイン侯・アントン・フローリアンにちなんで命名された。1938年、ヨーゼフ2世がファドゥーツの城に移り、ここが公国の首都に定められた。
機械式計算機メーカーのクルタ計算機の製造は、この都市で行われた。 観光都市であり首都でもあるが、市域内に空港や鉄道の駅は無い。従ってバスが主要な公共交通機関であり、オーストリアのフェルトキルヒやスイスのサルガンス(現地の発音は「サルガース」[6][注釈 1])やブックス
旧跡ファドゥーツ城
ファドゥーツ城
リヒテンシュタイン公国の元首・リヒテンシュタイン家の居城
ファドゥーツ大聖堂
交通
鉄道について、最も近い駅はファドゥーツから一番近いのはスイス領内のゼーフェレン駅である。国内で最も近い駅(シャーン・ファドゥーツ駅)はシャーンにある。