ファッション雑誌
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ファッション雑誌(ファッションざっし)は、ファッションを主なテーマとして扱う雑誌である。

ファッションが報道の対象として定期的に取り上げられるようになったのは、19世紀前半のフランスにおいてである。『ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード』がその先駆的な雑誌であるが、1829年にはベリー公爵夫人の援助によって『ラ・モード』が創刊され、バルザックら知識人を執筆陣に迎えてフランスのファッション雑誌の代表的な存在となった。19世紀末には『ジュルナル・ド・ラ・ヴィ・リテレール』がフランスのファッション雑誌の中心的存在に躍り出た[1]

今日に続くファッション雑誌の基礎を作ったのは、1867年にアメリカで創刊された『ハーパーズ バザー』および1893年に同じくアメリカで創刊された『ヴォーグ』である。両誌は現在も世界で最も影響力があるファッション雑誌として、多数の国で発行されている。
日本におけるファッション雑誌

日本の女性にとってファッションは極めて関心の高いものであり、流行、年齢、生活・収入レベルやそれらがもたらす読者別のファッションの傾向によって数多くのファッション雑誌が発行されている。近年では老舗女性ファッション雑誌といわれた『Olive』(マガジンハウス)や『mcシスター』(当時の婦人画報社、現・ハースト婦人画報社)が次々休刊した。インターネットの普及により『ef』(主婦の友社)がデジタル媒体に移行したような例もある。

また、日本におけるファッション雑誌は洋服の発祥地である西洋のファッション雑誌の模倣や提携などから始まっており、欧化主義洋装化の影響を強く受け、モデル金髪碧眼白人を起用し、美の典型と位置づけるものも多く、西洋式の文化を称賛する傾向が強い雑誌もある。日本のファッション誌の歴史は『服装文化』(1934年創刊)、『ル・シャルマン』(1935年創刊)を端緒に、『装苑』(1936年創刊)に始まり『アンアン』(1970年創刊)で確立したとされるが[2]、1980年代に入ると女性向けファッション誌が乱立しはじめ、読者ターゲットやファッションの好みによって、モード系、赤文字系青文字系、黒文字系などジャンルも多岐にわたり、赤文字系をはじめ日本人モデルが中心の雑誌は多い[3]
内容

メインは月刊誌から季刊誌のペースでのトレンドに合わせた着こなしの紹介である。全身の服装、個別のアイテム (カタログともいえる)、ヘアスタイルやメイクが、モデルや芸能人、読者など多様な人物の写真で表され、商品を説明するキャプションがつく。また主眼となるコンセプトがモード系ではコレクションの図版、ストリートファッションならばストリートスナップが用いられる。

一応ファッション雑誌とは分類されるものの、女性誌の場合、恋愛、占い、音楽等のレビュー、ダイエットをはじめとする美容、インテリア、キャリア、育児、金銭管理、料理のレシピ、旅行、また小物の付録など、実生活で役立つ情報やエンタテイメント要素を盛り込んでいる。しかし一方で、消費意欲の煽動を訴求するあまり、過激で根拠のないでたらめな情報、品性に欠ける文章を掲載することも少なくなく、世間からの批判も少なくない[4]
流行の創出

洋服や装飾品だけでなく、ライフスタイル全般を取り上げるファッション雑誌も多い。『アンノン族』を生み出し、従来の物見遊山型でない女性の国内旅行を定着させた『an・an』・『non-no』などが女性の若者文化に大きな影響を与えた。バブルが終わり不況の長期化、情報源の多様化などにより、女性ファッション誌ではファッション情報に特化した実用性を求める傾向が強まっているが、男性ファッション雑誌は物・文化記事を重視する傾向が目立つ。ファッション記事やグラビアよりも若年サラリーマン向けの宣伝タイアップを絡めたビジネスノウハウ記事が目立つ『GQ JAPAN』や、逆に、自動車雑誌であるものの、ファッション記事にも多くのページを割く『NAVI』のような雑誌(廃刊)もある。「ちょい不良(ワル)オヤジ」等のスタイル提案で知られる中年男性ファッション誌『LEON』(主婦と生活社)のように、単なるファッションだけにとどまらず、スタイルや生き方にまで及ぶ流行を生み出そうとしている雑誌もある。

2000年代に入り、ファッションの多様化が進む一方、活字媒体全般にわたり不調と言われている[誰によって?]2006年現在、パンク・ファッションストリートファッションモード系など個性や先鋭的なセンスを打ち出す雑誌は一部に根強い支持があるものの、全体としては男性誌・女性誌ともに実利的な異性受け(「モテ」と称される)するファッションを重視する傾向が強まっている。10代後半から20代の女性向けファッション雑誌というカテゴリで圧倒的に強みを持つ『CanCam』がその代表格であり、近年ではその専属モデルであった押切もえ蛯原友里が誌面で着用した服は、即完売するという影響力をもった[5]

着物やロリータ、アウトドアなど限定的な服装に特化したものや、美容、フィットネス、ヘアスタイル、メイク、ネイルに関する雑誌も刊行されている。

なお、月刊女性誌には1kgを超えるものもあるが、近年は、持ちやすい「小型版」も同時に発売されている[6]
年譜

1867年 アメリカ合衆国で『Harper's BAZAAR』創刊。

1893年 アメリカ合衆国で『ヴォーグ』創刊。

1905年婦人画報』創刊。国木田独歩を初代編集長として創刊された、日本で最も歴史ある婦人総合誌。

1936年 宇野千代が時事新報社(のちにスタイル社)より日本初のファッション雑誌『スタイル』を創刊[注釈 1]。表紙画は藤田嗣治、題字は東郷青児。定価20銭。全32ページのうち、洋装に16、男物に4、和装に8、化粧に4という構成だった[7]。同年、『装苑』が創刊。当時は洋裁の専門誌としての性格が強かった。

1946年 坂内ミノブによる『女性線』創刊。刊行は坂内が経営する吉田出版。[8]

1949年ドレスメーキング』創刊。同年、日本初の男性ファッション誌『洋装』が洋装社より創刊。

1950年 男性ファッション誌『男子専科』がスタイル社より創刊。

1955年 男性ファッション誌『MEN'S CLUB』創刊。

1958年家庭画報』創刊。

1960年ハイファッション』創刊。

1969年 1966年から刊行されていた森英恵のPR誌『森英恵流行通信』が『流行通信』の名でファッション専門誌として創刊される。

1971年non-no』創刊。旅行特集で前年創刊の『anan(アンアン)』とともにアンノン族現象を引き起こす。

1971年POPEYE』創刊。従来の男性誌と一線を画す、カタログ風の実践的内容であった。

1975年JJ』創刊。ニュートラが全国的に流行。

1980年代 バブル期の消費拡大により広告収入が見込めるビジュアル(ファッション写真などのエディトリアルデザイン)重視のファッション誌(海外有名ファッション誌の日本語版含む)の創刊が相次ぐ。

1994年 不況とともに、ビジュアルより服の詳細情報を主にしたファッション情報誌が増え、アンチテーゼとしてアート系ファッション誌『ジャップ』が創刊されるも出版社倒産により廃刊[9]

主要なファッション雑誌のリスト

各出版社が人気のファッションをスタイル別(俗にテイスト、○○系と呼ばれる)・年齢やライフスタイル別の専門誌を出版しており、以下は現在一般的に認知されている印象をマクロにカテゴライズしているが、形而上・抽象的な概念に拠るものから、認識も十人十色であり、はっきりとした特徴は確立されていない。例えば一般的に相反するものとされがちなカジュアルコンサバにあたっても、流行、または雑誌の意向により、カジュアル専門誌であってもコンサバのグレーゾーンにあたるファッションが紹介されていることなどがある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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