ファウスト_(伝説)
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ファウスト(Faust)は、ドイツの伝説における主要な登場人物である。彼は学者としてかなり成功したが、自分の人生に満足しておらず、そのために悪魔と盟約して自身の魂と引き換えに果てしない知識と現世での幸福を得た。

ファウスト伝説は、長い時間を通して再解釈され、多くの文学、美術、映画、音楽作品の題材とされてきた。「ファウスト」や「ファウスト的」という語句は、野心的な人物が力を得て一定期間の成功のために倫理的な無欠さを手放すという状況を暗示するのにも使われる。

初期の書物、あるいはそこから派生したバラッドや演劇、映画、人形劇のファウストは、ファウストが神に関する知識よりも人間を愛したという理由で、取り返しがつかないほど呪われた。「ヤツはドアの裏やベンチの下に聖書を置き、そして、神学者と呼ばれるのを拒み、医学者と称されるのを好むのだ」[1]。この伝説を漠然と題材にした演劇や滑稽な人形劇は、16世紀を通してドイツで人気を誇ったが、それらでは、ファウストやメフィストフェレスを低俗な楽しみの象徴へと貶めていた。

この伝説は、古典的に取り扱ったクリストファー・マーロウ戯曲フォースタス博士』(1604年)により、イングランドで広まった。200年後、ゲーテが再編した『ファウスト』では、ファウストは自分の人生に「現世の飲食以上のもの」を求めた不満足な知識人となった。
物語の概要

ファウストは学者としての自身の人生に退屈し、落胆していた。自殺を試みた後、悪魔に更なる知識とこの世のあらゆる喜びと知恵をほしいままにできる魔法の力を求めた。それに応えて悪魔の代理であるメフィストフェレスが現れた。彼はファウストと取引を交わした。すなわち、メフィストフェレスはファウストに自身の魔力を一定年与える、しかし、期限が切れるとき悪魔はファウストの魂を求め、結果ファウストは永遠に地獄に落ちる、というものだ。初期の作品では大抵この契約の期間は24年?1日の一時間につき1年と規定されていた。[要出典]

この契約の期間中、ファウストはメフィストフェレスを様々なことに利用する。多くのバージョンで、特にゲーテの戯曲で、メフィストフェレスはファウストが、大抵グレートヒェンという名の美しく純粋な少女を誘惑する手伝いをするが、その少女の人生は究極的に滅茶苦茶になる。しかし、グレートヒェンの純粋さは最期に彼女を救い、天国へ召される。ゲーテの版では、ファウストは彼の絶え間ない努力と、「永遠の女性」たるグレートヒェンの神への弁解との結果、神の恩寵により救われる。しかし、初期の作品において、ファウストは取り返しがつかないほど堕落した。彼は自身の罪が許されえないことを悟り、契約の期限が切れるとき、悪魔が彼を地獄へと連れ去る。
情報源パン・トワルドーフスキーと悪魔。ミハウ・エルヴィロ・アンドゥリオッリ

シモン・マグスの生涯は、多くの面でクリストファー・マーロウやヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテのファウスト伝説に影響を与えた。ハンス・ヨナスによると、「マーロウとゲーテの戯曲のファンのうち、その主人公がグノーシス主義者の子孫であること、彼の術により呼び出された美女ヘレンがかつての堕落した神の思考で、人類により救済されるべき存在だったこと、に薄々気づいている人はほとんどいない」[2] のだという。ファウストの物語は、13世紀に『聖母奇跡物語 ("Les Miracles de la Sainte Vierge")』の筆者ゴーチエ・ド・コアンシ (Gautier de Coincy) が書いたテオフィラス伝説に多く類似点を持つ。つまり、徳高い人物が地獄の支配者と取引するが、聖母マリアの慈悲をうけ、社会への責務をはたすことで救われる[3]。彼が悪魔に服従する場面の描写はノートルダム大聖堂の北側のティンパヌムに再現されている[4]

パン・トワルドーフスキーと云う名のポーランドの伝承における登場人物は、ファウストに似ており、これらの伝説はほぼ同時期にできたと考えられる。この二つの話が何処で共通の起源を持つか又は影響し合ったかは明確ではない。神学者のフィリップ・メランヒトンによると、歴史上のヨハン・ファウストはクラクフ大学で学んでいた、とされる。[要出典]

ファウストの名や性格の起源ははっきりしていないが、ヨハン・グーテンベルクの共同経営者ヨハン・フースト(英語版)(1400-1466)と伝説上のファウストを結びつける資料はいくつかある[5]。また、フゥストはファウスト伝説のいくつかある起源の一つとも言われている[6]。ヴュルテンブルクのクニットリンゲン出身と考えられる呪術師かつ錬金術師ヨハン・ファウスト博士(1480-1540)をファウストの原型と信じる人もいる。彼はハイデルベルク大学から1509年神学の学位を得た。フランク・バロン (Frank Baron)[7] や、レオ・ルイックビー (Leo Ruickbie)[8] などの学者は従来の仮定に異議を唱えている。

ファウスト伝説の資料として活字化されている最初のものは、Historia von D. Johann Fausten(1587年出版)というタイトルのチャップ・ブックである。この本は、16世紀を通して再編集・借用され、その時期の似た本は以下のものがある。

Das Wagnerbuch (1593)

Das Widmann'sche Faustbuch (1599)

Dr. Fausts groser und gewaltiger Hollenzwang(フランクフルト 1609)

Dr. Johannes Faust, Magia naturalis et innaturalis(パッサウ 1612)

Das Pfitzer'sche Faustbuch (1674)

Dr. Fausts groser und gewaltiger Meergeist(アムステルダム 1692)

Das Wagnerbuch (1714)

Faustbuch des Christlich Meynenden (1725)

1725年のチャップ・ブックはひろく普及し、ゲーテ少年にも読まれた。

男と悪魔の契約について同種の本には、戯曲Mariken van Nieumeghen(オランダ、16世紀初頭、著者不明)や、Cenodoxus(ドイツ、17世紀初頭、Jacob Bidermann)、『キャスリーン伯爵夫人』(The Countess Cathleen, 起源の不明瞭なアイルランドの伝説、フランスの戯曲Les marchands d'amesを基にしているとも考えられている)などがある。
伝説と結びつけられた土地

ドイツの南西端の都市、シュタウフェン (Staufen) は1540年にファウストが死んだ土地である、と主張している。とある建物の描写が見える、などの理由からである。この伝承に対する歴史的資料は、ファウストが死んだとされる年の25年後、1565年前後に書かれたChronik der Grafen von Zimmernにおける描写だけである。この記録は一般的に信頼できると考えられており、16世紀にはシュタウフェン卿と隣接するドナウエッシンゲンのジマーン伯爵との親しいつながりが残っていた。[9]

クリストファー・マーロウのオリジナル版では、ファウストが学んだヴィッテンベルクはウェルテンベルク(独:Wertenberge)として書かれている。彼が話の舞台としているその場所は、ヴュルテンベルク(独:Wurttemberg)公国だと主張している学者もいれば、マーロウ自身の住んだケンブリッジを暗示していると主張している学者もいる (Gill, 2008, p. 5)。ヴィッテンベルクの所在地として最も支持を集めるに足るであろう説はヴュルテンベルク公国の歴史的首都で、現在のシュトゥットガルトである。
文学
マーロウの『フォースタス博士』

初期のファウストのチャップブックは、ドイツ北部で普及し、イングランドへ渡った。そこで、1592年にP.F.ゲントなる人物によるThe Historie of the Damnable Life, and Deserved Death of Doctor Iohn Faustusという英訳版が出版された。クリストファー・マーロウはより野心的な戯曲『フォースタス博士』(1604年出版)の基としてこの作品を用いた。マーロウは同時にジョン・フォックスの『殉教者列伝 ("Book of Martyrs")』からも、教皇ハドリアヌス6世と対抗者とのやり取りを借用した。ハリー・クラークによるゲーテ版『ファウスト』の挿絵サン・マリーナのハンチントン図書館にあるマーロウ『ファウスタス博士』の手稿
ゲーテの『ファウスト』

この伝説についてのもう一つの重要な版はドイツ人の著者ヨハン・ヴォルガング・フォン・ゲーテによる戯曲『ファウスト』である。より初期の伝説に近い第一部は1808年に、第二部はゲーテの死後1832年に出版された。

ゲーテの『ファウスト』はもともとの伝説が示す単純なキリスト教的道徳観を複雑に表現した。戯曲と広義の詩文との融合体である二部編成のこのクローゼットドラマは、ある種の叙事詩である。キリスト教や中世、古代ローマ、東洋を参考にし、古代ギリシア、哲学、そして文学などをひとまとめにした。


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