ファウスト_(グノー)
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アリ・シェフェールによるファウストとマルグリート .mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}関連ポータルのリンク

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『ファウスト』(フランス語: Faust)は、シャルル・グノーが作曲した全5幕のオペラドイツの文豪ゲーテ劇詩ファウスト』を題材にしている。原作がドイツ語なのに対して、オペラはフランス語である(フランス語題名は『フォースト』)。初演は1859年3月19日に、パリのリリック座で行われた[1]。「清らかな住まい」や「金の子牛の歌」、「宝石の歌」などをはじめとするアリア、第5幕で踊られるバレエ音楽は非常に有名で、単独で演奏会や録音で取り上げられる機会が多い。
作曲の経緯
構想から作曲に至るまでマルグリートを演じたミオラン・カルヴァロ

1839年ローマ賞を獲得したグノーは、ローマ留学中の1839年から1842年までの間に、ジェラール・ド・ネルヴァルによってフランス語に翻訳されたゲーテの『ファウスト』を愛読しており、その第一部をオペラ化にすることに興味を抱くようになる[2]。実際にグノーは早くても1849年頃には、既に教会の場面における音楽の作曲を試みているが、この時点ではまだ構想の段階であったため、作曲は途中で中断することにし、本格的に作曲が始められるのは6年後の1855年になってからのことだった。1850年ギリシャの女流詩人を題材にした3幕のオペラ『サッフォー(英語版)』(Sapho)でオペラ作曲家としてデビューを果たす。以降オペラの作曲に全力で注いだが、いずれも失敗に終わっている。
作曲から完成まで

オペラでの失敗が続いていた時に、リリック座の支配人のカルヴァロから作曲を勧められたことを契機として、1852年頃から作曲に着手する。また作曲と平行して1855年に台本作者のジュール・バルビエ(フランス語版)とミシェル・カレ(フランス語版)と知り合い、グノーは2人と共同して台本の制作にとりかかった。だがこの時期に、別の作曲家が同じ題材によるメロドラマ(音楽劇)を他の劇場で上演されたため、制作はやむなく一旦中断し、グノーはその代わりとしてモリエールの原作によるオペラ『いやいやながら医者にされ(英語版) 』(Le Medecin malgre lui)を1858年に作曲する[3]など完成するまでに困難していることが窺える。先に上演されたメロドラマが失敗に終わった直後、再び意欲を燃やしたグノーは作曲の作業に戻り、1858年の秋(1859年の初頭とも)に全曲を一気に完成させた。なお、この時点では対話の部分に音楽が付かないオペラ・コミックとして完成する。
初演とその後オペラ座上演時のポスター

1859年の初演当初は好評を博すことが出来ず失敗したが、上演されるたびに人気を高めていった。「リリック座で10年間に306回上演され、その後75年で2,000回以上、上演される大ヒット作となった」[4]。ドイツ[5]やイタリアでも好評を博し、徐々に成功を収めていった。初演を見たベルリオーズは、「この作品が近い将来に必ず大成功する日が来るに違いない」と好意的に評価した。1868年3月のパリ・オペラ座における上演に際して、グノーは台詞を朗唱(レチタティーヴォ)に変更し、またグランド・オペラの伝統に従ってバレエ音楽を追加するなどの改訂を行い、現在上演される形となった。この上演ではジャン=バティスト・フォルがメフィストフェレスを、クリスティーナ・ニルソン(英語版)がマルグリートを演じた[2]


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