パボリノス[1][2]またはファウォリヌス[3][4](希: Φαβωρ?νο?, Phab?rinos, 羅: Favorinus, 80年頃 - 150年頃[2])は、ローマ帝国期のガリア人の半陰陽のギリシア語弁論家、哲学者。弁論家としては第二次ソフィスト思潮、哲学者としては折衷主義と穏健な懐疑主義[5]に属する。
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』等の情報源の著者としても知られる。 ピロストラトス『ソフィスト列伝』に伝記がある。 ピロストラトスによれば、生まれつきの両性具有であり、年老いても髭が生えず、声も宦官(古希: ε?νο?χο?)のような高い声だった[1]。同時に、姦通罪で訴えられた経歴もあるほど恋愛に情熱的な人物でもあった[1]。 ガリアのアレラテ(現フランスのアルル)にガリア人として生まれ、おそらくマッシリア(現マルセイユ)でギリシア語を学んだ[6][7]。成人後ローマに移り、哲学者で第二次ソフィストのディオン・クリュソストモスに師事した[6][7]。 ハドリアヌス帝の寵愛を得たが、あるとき不興を買い(『ローマ皇帝群像』にその描写がある)、キオス島に流された[6]。これを受けて、アテナイに建てられていたパボリノスの銅像も撤去された[6]。アントニウス・ピウスの代になると赦された[6][4]。 第二次ソフィストのポレモン
人物
パボリノスの作品は全て散逸している[6]。
弁論作品では、3篇が断片的に伝わり[6]、うち1篇はパピルス文書で伝わる[6][9]。また『夭折者について』『剣闘士のために』『入浴のために』という題名が伝わる[1]。