この項目では、ニューヨーク市マンハッタン区にかつて存在した地区について説明しています。クイーンズ区ロング・アイランド・シティにかつて存在した建物については「ファイブ・ポインツ」をご覧ください。
ファイブ・ポインツ
Five Points
ジョージ・カトリンが描いたファイブ・ポインツ交差点(1827年)。アンソニー通り(後のワース通り)が左へ、オレンジ通り(後のバクスター通り)が右へ、そしてクロス通り(後のパーク通り)が前方を左右に走っている。アンソニー通りの左にかけての荒廃した「テネメント
「ファイブ・ポインツ」(または「ザ・ファイブ・ポインツ」、英語: Five Points)は、アメリカ合衆国・ニューヨーク市のロウアー・マンハッタンに19世紀に存在した地区である。当地区の一部はコレクト・ポンド(英語版)として知られた淡水池を埋め立てることで生み出され、西のセンター通り、東のバワリー通り、北のキャナル通り、南のパーク通りが大まかな境界線であった。ファイブ・ポインツは人口過密で、病が蔓延し、犯罪が横行するスラムとして国際的に悪評が広まっており、70年以上に渡って存在した[1]。
20世紀に入ると、ファイブ・ポインツ地域は次第に再開発され、各通りは様相を変え廃道になったものもある。現在では西と南を、連邦・州・市の行政機関が建ち並ぶシビック・センターが占める。東と北にかけては、以前のファイブ・ポインツ地区は現在はチャイナタウンの中に位置している。 交差する2本の通りと、その交差点まで伸びた第3の通りが、5つの角あるいは「ポイント」を形成する。1809年頃にアンソニー通りが東へ、クロス通りとオレンジ通りの交差点まで延ばされた。結果として、周囲の地区がファイブ・ポインツと呼ばれるようになった[2]。1854年には3本の通りがワース通り
「ファイブ・ポインツ」の名称
コレクト・ポンド1846年に公刊された地図が、1793年当時の通りと、1811年までに埋め立てられたコレクト・ポンド(英語版)を示す。点線で記された通りは、1793年から1846年にかけて設けられた。
マンハッタンにヨーロッパ人入植が始まって200年あまり、増加する人口への主要な飲料水の源がコレクト・ポンド(英語版)(もしくはフレッシュ・ウォーター・ポンド)であり、魚も豊富であった[6][7]。