ピー・プロダクション
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2016年5月)

株式会社ピー・プロダクション種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
167-0051
東京都杉並区荻窪1丁目25番6号
設立1960年
業種情報・通信業
法人番号9011301005892
外部リンクhttps://p-production.jp/
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株式会社ピー・プロダクション(ピー・プロダクション)は、日本のテレビアニメ・テレビ番組・特殊映像の製作会社。通称「ピープロ」「Pプロ」[1]
概要

1960年代から1970年代にかけて、フジテレビで多くのアニメ・特撮番組を制作した。

テレビアニメの誕生以前に動画制作を主目的に始まった会社である。すべてにおいて代表の鷺巣富雄の個性を反映した会社で、鷺巣の映画・漫画人脈を生かしてその業務内容は多岐にわたり、テレビ番組制作だけでなく、映画・テレビ・舞台など映像作品全般の特殊効果映像の制作請負会社としての側面も強い。アニメ番組も実写特撮番組も同等に制作する、非常に稀有な会社だった。

手掛けた特撮作品の多くは、東映東宝円谷プロダクションなどが制作していた他の番組とは異なる独特の雰囲気を有しており、今なおカルト的な人気を誇っている。

「ピープロ」の命名は、山本常一による[1]。映画に関連する英語の単語にPで始まるものが多いことに引っ掛けたもの。実際は、貧乏でいつもピーピーしてるから(社長談)でも良いらしい。

主要スタッフの一人の「しのだとみお」は、プロデューサーの篠原茂のペンネームである。篠原は、「鷺巣さんと私の名前を一緒にした、私のペンネームです」とコメントしている。

現在、会社は作曲家である息子の鷺巣詩郎が社長を引き継ぎ、作品管理はスターチャイルド大月俊倫を経て、2017年よりスタジオカラーが行っている。
沿革

1960年(昭和35年)7月、漫画家うしおそうじこと鷺巣富雄が中心となり設立[2][1]。動画合成機材を備え、日映科学、理研科学、新理研など短編・ドキュメンタリー映画会社の、線画動画を製作。また大映映画のタイトル作成、特撮映画の合成を請け負う[1]

彫刻家の高山良策、山本常一、日本における合成作画の第一人者渡辺善夫らが発起人となり[1]、山本は補佐役となった。アニメスタッフには、顧問に政岡憲三を招く[1]。政岡は、実写の『マグマ大使』でも、精巧なアニメの合成作画を担当している。最盛期には50人を数える正社員がいた。

1960年(昭和35年)大映の超大作映画『釈迦』で37カットの動画合成を担当[3][1]。完成試写では円谷英二も絶賛した[1]

1962年(昭和37年)、特撮テレビ番組『STOPシリーズ』を企画[4][1]東宝テレビ部を通し、フジテレビに持ち込むものの実現せず[5][4]

1964年(昭和39年)、フジテレビで『0戦はやと』を製作[2][1]。これを皮切りにアニメ番組の自社制作を開始。『0戦はやと』の製作費は一本300万円だったという[注釈 1]

虫プロの『鉄腕アトム』も、2年を過ぎたこの頃になるとスタッフが飽きてサボタージュを始め、その処置に困った手塚はうしおに下請け製作を自ら依頼。第93話から第144話まで4クール分をピープロが制作した[2][1]。ミニアニメーション『アトムの天気予報』の制作も請け負った[1][注釈 2]

同年、撮影スタッフに『大群獣ネズラ』の失敗に見切りをつけて大映を離れた小嶋伸介、田賀保らが参加する[1]

1965年(昭和40年)、特撮番組として『クラブ君の冒険』を企画、白黒パイロットフィルムを製作[5][1]。この企画の権利を東急エージェンシーが強引に取得、プロデューサー上島一男は企画のカラー化と大橋史典の登用を要求。この後ろ盾で、企画は『マグマ大使』の実写化へと発展する[5][1]

1966年(昭和41年)、特撮テレビ番組『マグマ大使』を制作[1]。『マグマ大使』は、円谷特技プロの『ウルトラマン』よりも2週間早く開始され[1]、日本初の連続カラー特撮番組となり、両作品は空前の怪獣ブームを支える両輪となった。


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