ピー・ウィー・キング
Pee Wee King
1944年ころ
基本情報
出生名Julius Frank Anthony Kuczynski
生誕 (1914-02-18) 1914年2月18日
アメリカ合衆国 ウィスコンシン州エイブラムス
芸名のピー・ウィー・キング (Pee Wee King) として知られた、ジュリアス・フランク・アンソニー・クジンスキ(Julius Frank Anthony Kuczynski、1914年2月18日 - 2000年3月7日)は、特に「テネシーワルツ」の共作者のひとりとして有名な、アメリカ合衆国のカントリー・ミュージックのソングライター、レコーディング・アーティスト。 ウィスコンシン州エイブラムス
経歴
1946年、ザ・ゴールデン・ウェスト・カウボーイズ (the Golden West Cowboys) のバンドリーダーとなっていたキングは、バンドのボーカリストだったレッド・スチュワートとの共作で、「テネシーワルツ」を作曲したが、これは、ブルーグラス・ミュージシャンのビル・モンローが書いた「ケンタッキー・ワルツ (Kentucky Waltz)」に触発されて書いたものであった。キングとスチュワートは、1948年に「テネシーワルツ」を初めて吹き込み、以降この曲はカントリー・ミュージックのスタンダード曲となった。
キングのおもな楽曲には、このほか「スロー・ポーク (Slow Poke)」と「ユー・ビロング・トゥ・ミー (You Belong to Me)」もあり、この2曲はチルトン・プライス、レッド・スチュワートとの連名でクレジットされている。キングの作品には、ワルツ、ポルカ、カウボーイ・ソングから、カントリー・ミュージックまでが含まれている。
キングは、自分たちの公演ではドラムスやトランペットをバンド編成に盛り込んでいたが、『グランド・オール・オプリ』における演奏ではこれらを使うことが認められなかった。キングは『グランド・オール・オプリ』に出演する際も自分たちのバンドのサウンドを変えることを拒み、その後、(1945年にオプリでの禁止に逆らったボブ・ウィルス(英語版)とともに)カントリー・ミュージックにおけるドラムスの導入や普及を進めた先駆者のひとりとなり[2]、さらに管楽器、アコーディオンや、ペダルスティール・ギターなどの電気楽器類を、カントリー界で権威のある『オプリ』に持ち込んだ[3] 。キングのバンドは、ステージ上で踊ったり、ヌーディ・コーン(英語版)特注の「ラインストーン・カウボーイ」の衣装で[4]で『オプリ』に出演して、ナッシュビルやカントリー界にこれが広まり、後にはエルヴィス・プレスリーも同様の衣装を用いる契機となった[5]。1970年撮影
1970年、キングはナッシュビル・ソングライターの殿堂(英語版)の、1974年にはカントリー・ミュージックの殿堂の、殿堂入りを果たした。
キングは、プロデューサーであるランドール・フランクス(英語版)とアラン・オートリー(英語版)とともに、テレビ番組『In the Heat of the Night』の出演者たちによるCD『Christmas Time’s A Comin』で、「ジングルベル」を演奏し、特に南部諸州の小売業者の間では1991年盤と1992年盤が、クリスマス・アルバムとして最も人気のある部類となった。
キングは、心筋梗塞のために、ケンタッキー州ルイビルにおいて、86歳で死去した。
ディスコグラフィ
アルバム
Pee Wee King, RCA Victor, 1954
Waltzes, RCA Victor, 1955
Swing West, RCA Victor, 1956
Country Barn Dance, Camden, 1965
Ballroom King, Detour, 1982
Hog Wild Too!, Zu Zazz, 1990
Pee Wee King and His Golden West Cowboys (6-CD box set), Bear Family, 1995
Pee Wee King's Country Hoedown (live radio performances), Bloodshot, 1999