ピート・リケッツ
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アメリカ合衆国政治家ピート・リケッツPete Ricketts

生年月日 (1964-08-19) 1964年8月19日(59歳)
出生地 アメリカ合衆国 ネブラスカ州ネブラスカシティ
出身校シカゴ大学・大学院修了
前職会社役員
所属政党共和党
称号MBAシカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス
配偶者スーザン・ショア
子女3人
公式サイトgovernor.nebraska.gov
アメリカ合衆国
上院議員
選挙区ネブラスカ州
在任期間2023年1月23日 -
 ネブラスカ州
第40代知事
当選回数2回
在任期間2015年1月8日 - 2023年1月5日
副知事マイク・フォーリー
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ジョン・ピーター・リケッツ(英語:John Peter Ricketts、1964年8月19日 - )は、アメリカ合衆国政治家。2015年1月8日から2023年1月5日まで第40代ネブラスカ州知事を務めた。

父親のジョー・リケッツは株式仲介業を営んでおり、ピート・リケッツも1993年から2016年まで(2006年に連邦上院選挙に立候補した時期を除いて)働いていた。また、メジャー・リーグシカゴ・カブスのオーナー家の一員であり、ピート自身もオーナーの1人である[1]

2006年アメリカ合衆国上院議員選挙に立候補。共和党の予備選挙を勝ち抜いて民主党のベン・ネルソンと戦った。しかし、得票率36パーセントで落選した。

2014年に改めてネブラスカ州知事選挙に立候補。民主党候補のチャック・ハッスブルックを得票率57.1パーセントで破って当選し、2018年11月の選挙で再選を果たした。
生い立ち・家族関係

1964年8月19日にネブラスカシティにて、父のジョーと母のマーリーンの長男として誕生する。その後、オマハへ引っ越す。1975年に父親のジョー・リケッツが「ファースト・オマハ・セキュリティー」を創業。これは、アメリカにおける最初期の格安証券会社であった。その後、1997年に「アメリトレード」に改名して株式公開、2006年にTDウォーターハウスを買収して「TDアメリトレード」に改名した[2][3][4][5]。母マーリーンは元教師。

オマハにあるウェストサイド高等学校を卒業したのちシカゴ大学へ入学。同大学で教養学士、大学院でMBAを取得し、1991年に修了[2][3][4][6][7]
経歴・私生活

大学院修了後、地元オマハに戻り1年間ユニオン・パシフィック鉄道で勤務。その後シカゴで環境コンサルタントの営業をしていた。1993年に父の会社に入社。コールセンター業務を数ヶ月した後に経営陣に参加し、最高執行責任者(COO)を務める。2006年の報告書によると、彼自身が生み出した正味価値は4,500万ドルから5,000万ドルとされている[8][9][10]

1997年、スーザン・ショアと結婚。彼女はカンザス州ガーデンシティ(英語版)生まれ、オクラホマ州タルサ育ちで、オクラホマ州立大学、大学院を卒業し経営学修士を取得。その後、サウスダコタ大学で学生部長を務めたのち、オマハにあるクレイトン大学で看護学の1年コースを修了。リケッツと結婚した際は、オマハにあるセントジョセフ病院で看護師をしていた。リケッツとショアの間には、ロスコー、マーゴット、エレナーと言う3人の子供がいる[11][12]

2006年、リケッツは連邦上院議員選挙に一度父の会社を退社。しかし、ベン・ネルソンに敗退し、経営陣に復帰した。その後、リケッツ家が経営陣から退いた2016年まで経営陣に留まっていた[9][13]

2007年、リケッツは共同でシンクタンクを立ち上げ、その所長となった。リケッツ自身はこれを「自由な[14]」シンクタンクであると述べていたが、ネブラスカ州の地元紙は「保守的」と述べた[9][15]。その後、2013年にその職を辞し、2014年の選挙戦に集中した。2007年から2012年まで、リケッツは共和党全国委員会の委員を務めていた[15]

2009年、親族がシカゴ・カブスの経営権をトリビューン・メディアから取得した。リケッツとその兄弟たちは経営陣のうち5つのポストを取得し、2018年現在でも4つを保持している。これにより、2016年のワールドシリーズではカブスが優勝した際に彼のクレジットがタイトルに表示された[1][3][16]

リケッツはローマ・カトリック教徒である[17]
2006年連邦上院議員選挙

リケッツは2006年、連邦上院議員選挙の共和党候補として立候補し、民主党のベン・ネルソンに敗退した。また、予備選挙ではネブラスカ州司法長官ドン・ステンバーグ、元共和党議長デイヴィッド・クラマーと戦った。この予備選挙において、リケッツはポケットマネーから500万ドルを費やし、対立候補に10倍の差をつけて圧勝した[18]

本選挙においては大統領ジョージ・W・ブッシュや副大統領ディック・チェイニーから支援を受けた。特に、ブッシュ大統領は選挙の前日である11月5日にグランドアイランドまで駆けつけた。

リケッツは選挙中、保守派綱領に基づいて財政上の責任を強調[19]、移民政策改革[20]、農業改革[21]などを訴え、同性結婚[22]人工中絶[23]に反対する保守派を擁護した。


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