ピート・ケー
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ピート・ケー

ポータル クラシック音楽

ピーター・ウィリアム・ケー(Pieter William Kee、1927年8月30日 - 2018年5月25日)は、オランダオルガニスト作曲家
目次

1 来歴

1.1 即興コンクールでの優勝

1.2 その後


2 作品

2.1 オルガン作品

2.2 他の楽器とオルガンの室内楽作品

2.3 合唱作品

2.4 カリヨン作品

2.5 その他


3 録音

4 著作

5 脚注

6 外部リンク

来歴

オランダ、ザーンダム生まれ。スウェーリンク音楽院(現アムステルダム音楽院)にてオルガンピアノ作曲を学び、最優秀賞(Prix d'Excellence)を得て卒業。
即興コンクールでの優勝

1953年ハーレム市で開かれたオルガン即興コンクールにおいて、彼はアントン・ハイラーとカール・リヒターという二人の大オルガニストを抑えて優勝した。課題は、アドリアーン・エンゲルスの作曲した主題によって3楽章による楽曲を即興で演奏するというものであった。 1953年ハーレム国際オルガン即興コンクール課題

主題は各演奏者に、演奏の1時間前にそれぞれ手渡された。主題と各楽章の内容の指示は以下の通り。
主題TとUを用いたソナタ

自由な形式による間奏曲

主題Vによるフィナーレ

この後、1954年1955年と連続して3度優勝を果たしている数少ない奏者である。
その後

1954年から1988年までアムステルダムのミュージック・リセウムとスウェーリンク音楽院にて教鞭をとるほか、オルガニストのためのハーレム国際夏期講習会で定期的に講師を務めた。1952年から1987年までアルクマールの聖ラウレンス教会のオルガニスト。1956年から1989年までハーレム市オルガニストとして、聖バーヴォ大教会の世界的に知られるクリスチャン・ミュラー製オルガンの常任奏者を務めた。

即興演奏の技術は卓越したものであり、オルガンによる即興のコンクールで頻繁に審査員を務めている。

作曲家としても、定期的に新しい作品を発表している。近年の作品の中には、2006年3月にトーマス・トロッターによって初演された「ハーレム協奏曲」などがある。

1988年にはオリヴィエ・メシアンとともに、王立音楽大学のオルガン名誉研究員号を授与された。

2018年5月25日に死去。90歳没[1]
作品

以下の一覧は作品の一部である。ベーレンライターペータースなどから出版されている。
オルガン作品

詩編86編による「トリプティック」(
1960年

二つのオルガン作品(1962年

「目覚めよ」によるファンタジア

受難のコラール


手鍵盤のための4つの小品(1966年

3つのオランダの歌に基づいたヴァレリウスへの頌歌「Gedenck-Clanck 76」(1976年

ビオス(7楽章)(1995年

ペーター・サーンレダムの絵画による「The Organ」(2000年

他の楽器とオルガンの室内楽作品

2つのオルガンと3つのトランペットおよび2つのトロンボーンのための「音楽と空間」(
1969年

教会オルガンと3つのストリートオルガンのための「コンフロンテーション」(1979年

オルガンと小オルガンまたは電子鍵盤、アルトサクソフォーンおよびソプラノリコーダーのための「ネットワーク」(1996年

オルガンと4つの小オルガンのための「フェスティヴァル・スピリット」(イギリス聖オーバンス国際オルガン音楽祭コンクール審査委員会委嘱)(2001年

オルガンと独奏ヴァイオリンおよび打楽器のための「ビオスII」(2002年

オルガンとオーケストラのための「ハーレム協奏曲」(オーケストラは管楽合奏、アルトサクソフォーン、テナーサクソフォーン、コントラバス、打楽器およびハルモニウム)(2005年

合唱作品

混声合唱と独唱(ソプラノ・アルト・テノール・バス)および任意の通奏低音のための「世界」(詩・ヘンリー・ヴォーン
)(1999年

無伴奏混声合唱と2ソプラノ独唱のための「天国」(詩・ジョージ・ハーバート)(2000年

カリヨン作品

フランス・ハルス組曲(1990年

音の大きな曲

ユディス・レスターのためのサラバンド

フランス・ハルス・トッカータ


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