ピーター・パン_(ミュージカル)
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『ピーター・パン』は、ジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ケンジントン公園のピーター・パン』、小説『ピーター・パンとウェンディ』を基にして制作されたミュージカル作品である。

原作については『ピーター・パン』を参照のこと。
上演概要

『ピーター・パン』は、1904年のクリスマスシーズンにロンドンウエスト・エンドのデューク・オブ・ヨークス劇場で初演されている。その後も、イギリスやアメリカで版を変えて上演されていたが、ストレートプレイもしくはセミミュージカルの範疇の作品であった。

1954年メリー・マーティン主演でブロードウェイにおいて本格的なミュージカルとして初演された。ピーター・フォイの考案によるフライング(空中遊泳)が取り入れられた。メリーの体力的な問題もあり、上演は19週で終了している。

1975年に、ブロードウェイにてサンディ・ダンカン主演でリバイバル上演が行われ、ロングランを果たした。

1990年にも、リバイバル上演が行われている。
1950年版

1950年、ジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ピーター・パンあるいは大人になりたがらない少年』を原作として作詞作曲レナード・バーンスタインピーターパン役にジーン・アーサージョージ・ダーリングおよびフック船長役にボリス・カーロフウェンディ役にマーシャ・ヘンダーソンでミュージカル『ピーター・パン』が製作された[1]。当初はバーンスタインの曲により本格的なミュージカルとなる予定だったが、主要キャストの音域の問題により『Who Am I? 』、『Pirate's Song 』、『Plank Round 』、『Build My House 』、『Peter Peter 』の5曲のみが使用されることとなった[2]

2000年、指揮者のアレクサンダー・フレイはバーンスタインのスコアを熟考し、1950年に演じられなかった45分間分のシーンなどを復活させた。復元部分には『Captain Hook Soliloquy 』、『Dream With Me 』の曲が含まれる[2]

2005年、フレイの指揮により録音されたCDがコフ・インターナショナル・クラシックスより発売された。配役はウェンディ役にブロードウェイのスターのリンダ・イーダー、フック船長にバリトンのDaniel Narducci など[3]

2006年12月、ロンドンイズリントンにあるキングズ・ヘッド・シアターにてピーター・パン役にキャサリン・キャスティン、フック船長役にピーター・ランド、ステファニー・シンクレア演出、マイク・ディクソンの新たな編曲によるフル・ミュージカルが初めて上演された[4]

2008年9月、ポルトガルカスカイスでこのスコアの演奏でバーンスタインの娘ニーナ・バーンスタイン・サイモンズがナレーターとして参加したジェームス・マシュー・バリーのオリジナルの戯曲を織り込んだコンサートが行なわれた。出演はジェラルディン・ジェイムス(ナレーター)、 ジョン・サックヴィル=ウェスト(ピーター・パン)、シャーロット・エレット/レイチェル・ニコルズ(ウェンディ(Wキャスト))、ニコラス・レスター(フック船長)。

2008年12月、カリフォルニア州のサンタ・バーバラ劇場でAlbert Ihde 演出、フレイ指揮で戯曲全編が行なわれた。
1954年版

1904年のジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ピーター・パン』およびこれを小説化した『ピーター・パンとウェンディ』を原作としている。大部分の曲の作曲はムース・チャーラップ、一部の曲の作曲はジューリー・スタイン、大部分の曲の作詞はキャロリン・リー、一部の曲の作詞はベティ・コムデンアドルフ・グリーンにより行なわれた。

1954年のオリジナルのブロードウェイ版ではピーター・パン役をメアリー・マーティンが演じトニー賞ミュージカル主演女優賞、フック船長役をシリル・リチャードが演じトニー賞ミュージカル助演男優賞を受賞した。1955年、1956年、1960年にはNBCにて同じ主演者でテレビ放送され、1960年には何度か再放送された。この舞台は現在も再演され続けている。
背景およびオリジナルのブロードウェイ公演製作

20世紀初頭、様々な版の『ピーター・パン』が上演されてきた。オリジナルの戯曲を考慮し、パントマイムの伝統によりミュージカルのピーター・パンの役はメアリー・マーティン、サンディ・ダンカンキャシー・リグビーなど通常女性により演じられる[5]

Los Angeles Civic Light Opera の創立者で監督であるプロデューサーのエドウィン・レスターは『ピーター・パン』のアメリカでの上演権を得てメアリー・マーティンのために音楽入りの舞台作品に脚色した。プレビュー公演では成功を果たせず、演出のジェローム・ロビンズは作詞にコムデンとグリーン、作曲にジュール・スタインを雇い、『Never Never Land 』、『Distant Melody 』などいくつかの曲が追加されフル・スケールのミュージカルとなった[6]。このミュージカル作品ではバリーのオリジナルのエンディングの代わりに、バリーが後に書いた『An Afterthought 』のシーンを追加し、ピーターはウェンディに従い子供達を家に帰した。エンディングでは何年後かにピーターはウェンディをネヴァー・ネヴァー・ランドに大掃除のために連れて行こうとする。ウェンディは大人になり結婚して娘ができ、彼は長い時間が経ったことに気付く。彼は最初は落ち込んだが、ウェンディの娘のジェーンが彼の新しい母役になると言ったのを聞き喜んで彼女を連れて行く[7][8]

1954年10月20日、ニューヨークのウィンター・ガーデン劇場でミュージカル『ピーター・パン』が152公演限定で開幕した[9]。チケット販売を請け負ったNBCは、限定公演ながらも興行的に成功し、1955年2月26日に閉幕した。改訂されたスコア、マーティンとリチャードのトニー賞受賞するほどの演技が成功に導いた[6]。この時のブロードウェイ・キャストによるアルバムが製作され現在も販売され続けている。

ブロードウェイで『The Boy Friend 』、『Fanny 』、『Silk Stockings 』、『くたばれ!ヤンキース』など著名なミュージカルが目白押しの時期に開幕された。まだロサンゼルスでの試験興行の間に1955年3月7日からNBCのアンソロジー『Producers' Showcase 』でこの舞台が放送された。ブロードウェイ公演中は興行的な成功を収めたが、テレビ放送された時にはすでに閉幕されていた。
テレビ放映

ニューヨークにあるNBCのプロダクション・マネージャーのフレッド・コーは3シーズン間の毎月第4月曜日に放送される90分間のアンソロジー・シリーズ『Producers' Showcase 』の製作を始めていた。NBCの親会社RCAの、当時高価だった新型カラー・テレビの普及がこの番組の目的の1つであった[10]

1955年3月7日、『Producers' Showcase 』の一部としてNBCはほぼオリジナル・キャストの『ピーター・パン』を生中継。これがカラー・テレビで初のブロードウェイ作品全編放送となった[11]。この番組は当時最高の6,500万人視聴を記録[12][13]。メアリー・マーティンとシリル・リチャードはこの時すでにトニー賞を獲得しており、この番組によりマーティンはエミー賞も獲得した。好評により、1956年1月9日、再度『Producers' Showcase 』で舞台中継を放送[14]。どちらもカラーによる生中継であったが、この頃白黒放送はキネコのみが残っていた。

1960年12月8日、再度舞台中継が放送された[15]が、コマーシャル抜きで前回までの90分放送より延びて100分放送となり[16]、当時出演していた子役達が成長したためオリジナル・キャストとは少し変更されていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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