ピーター・ティール
[Wikipedia|▼Menu]

ピーター・ティール
Peter Thiel
ベルリンにて(2014年
生誕 (1967-10-11) 1967年10月11日(56歳)
西ドイツ
フランクフルト・アム・マイン
国籍 アメリカ合衆国
出身校スタンフォード大学
スタンフォード・ロー・スクール
職業起業家投資家
純資産 25億ドル(2018年)
肩書きクラリウム・キャピタル 社長
パランティア 会長
Facebook取締役
ファウンダーズ・ファンド パートナー
バラー・ベンチャーズ 会長
ミスリル・キャピタル 投資委員会委員長
Yコンビネータ パートナー
政党リバタリアン党(2016年以前)
共和党(2016年 - )[1]
テンプレートを表示

ピーター・アンドレアス・ティール(Peter Andreas Thiel、1967年10月11日 - )は、アメリカ合衆国起業家投資家PayPalOpenAI、Palantir共同創業者[2][3]Meta(Facebook)最初期投資家[4][5]。「ペイパルマフィア」の中では「ドン」と呼ばれ[6][7]、「影の米大統領」の異名を持つ[8][9][10]ドナルド・トランプ元政策顧問[11][12]。保守系動画サイトRumble支援者[13]ビルダーバーグ会議運営委員メンバー[14]。Palantir取締役[15]自由至上主義哲学者[8]Meta(Facebook)最初期投資家でもあるが、Meta取締役を2022年2月8日に辞任した後、CEOのマーク・ザッカーバーグを敵対者リストに加えた政治家候補を支援している[8][16]。また、イーロン・マスクとはPaypal時代からの友人であり関係が深い[17]
概要

西ドイツのフランクフルトに生まれる。1歳のときに家族とともにアメリカに移住。少年時代はアフリカで過ごしていたこともある。スタンフォード大学哲学を学び、1989年に学士の学位を取得。その後スタンフォード・ロー・スクールに進学し、1992年法務博士の学位を取得する。卒業後、合衆国控訴裁判所で法務事務官、ニューヨークの法律事務所サリヴァン&クロムウェルで証券弁護士、元教育長官ウィリアム・ジョン・ベネットのスピーチライター、クレディ・スイスで通貨オプショントレーダーとして働く。1996年にティール・キャピタル・マネジメントを設立。1998年にはコンフィニティ(後のPayPal)を共同設立し、2002年に15億ドルでeBayに売却するまで最高経営責任者を務めた。

eBayがPayPalを買収した後、ヘッジファンドのクラリウム・キャピタル(Clarium Capital)を設立。2004年、データ分析ソフトウェア企業パランティア(Palantir)[注 1]を立ち上げ、現在までその会長を務める。同年、Facebook初の外部投資家になった。2012年に保有する株式の大半を売却したものの、現在でも同社の取締役として名を連ねている。複数のベンチャーキャピタルも立ち上げており、2005年にはPayPalの創業メンバーだったケン・ハウェリー、ルーク・ノゼックとファウンダーズ・ファンド(Founders Fund)を、2010年にはバラー・ベンチャーズ(Valar Ventures)を、2012年にはミスリル・キャピタル(Mithril Capital)[注 2]を共同設立している。バラー・ベンチャーズでは会長を務め、ミスリル・キャピタルでは投資委員会委員長を務めている。また、2015年からYコンビネータのパートナーとして勤務している[18]

慈善活動や政治的活動にも携わっている。ティール財団(Thiel Foundation)を通じてブレイクアウト・ラボ(Breakout Labs)とティール・フェローシップ(Thiel Fellowship)を運営し、エリーザー・ユドコウスキーが創設したMIRI(Machine Intelligence Research Institute)、寿命の延長や老化防止を目的とするメトセラ財団やSENS研究財団、洋上国家建設を構想するシーステディング研究所、およびその他の投機的な研究をサポートしている。政治的にはリバタリアンとして知られ、スタンフォード大学時代にリバタリアニズムを主張する学生新聞『スタンフォード・レビュー(The Stanford Review)』を創刊したこともある。『ゴーカー』によるハルク・ホーガンのゴシップ記事を巡る裁判では、ホーガンに資金援助を行った[19]。2016年の米大統領選でいち早くドナルド・トランプを支持し[12]2016年11月には、政権移行チームのメンバーとなった。トランプの大統領退任後もMAGAと呼ばれる運動に共鳴し、2022年の中間選挙ではトランプ派の共和党議員候補者に巨額献金を行っている[12]。しかし、2023年4月28日、トランプに不満があるとして共和党への支援撤回した[20]
経歴
生い立ち

1967年10月11日に西ドイツのフランクフルト・アム・マインで父クラウスと母スザンヌとの間に生まれる[11][21]。1歳の時に家族とともにアメリカのオハイオ州クリーブランドに移住。クラウスは最初その地で化学技術者として働いた。その後クラウスは複数の鉱山会社で働き、それに伴い転勤を繰り返したため、ピーターは7度にわたる小学校の転校を余儀なくされる。ピーターとその家族は南アフリカやその委任統治領である南西アフリカ(現ナミビア)で暮らした後、1977年カリフォルニア州サンマテオ郡フォスターシティに定住する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:117 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef